全然

成人前までの宗教認識そう容易にかわらない。
http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/appendix-10.htm
これはすごく具体性のある事だと思い、ヌミノーゼは額面通り
こんなものよねという気に。何を超越的に聴くかというような。
(そこに何故か転向時の中井のお話がかぶる)ただ始終考える事でもないし、宗教的に生きてない。例えば単一民族でないという場合単に他人の宗教的モジュールを無理に動かそうとも改変させようともしない、最少の心理的な決まりごとがある筈で、それが大幅におかしいカルトは手口をまとめておいた方がいい気もするのだが。
音声を直接脳に送信するという方法がもしほんとにあるなら、確実におかしい宗教団体のアビューズだし伝統神学のマインドセットとかなりずれてる気がする(伝統神学というかキリスト教のシンプルな考え方持ち出す方がずれてるのかも知れないが)。こういうずれの補正が、ひと手間無駄な気がするのだがどうなのか。

抽象と感情移入の方が好きといえばそうで、単に小さい彫刻に
何かと確認するような事を、なんの懸念もなくしてみたいという気に。

栗蒸し羊羹を買ってきて食べる。具体的。

ナショナリストにならず日本を愛せばいいじゃないのという
時になんだかんだ言って拠りどころない時の日本文学は面白い
から、という立場はどうなのか。

さすがに気温が下がったので寒いと思いつつ、こういう時比喩に塗れてたら体調のほんとのとこが把握しづらくなるなという気に。考え込みながら歩く。
アドベントのカレンダーというものを二度三度楽しみに開けたことがある。生誕劇に出たこともあり不細工だったのだがいい思い出。キリストは新生児と同じサイズのキューピーだった。