昨年の

東京ガス料理教室のモーントルテのレシピを見ながら、
作ろうと思いつつ作っていない事を思う。絶対再現出来ない
ケーキ類。二台でとても安かったしケシの実もどこで売ってるか
分かったが、再現出来るか分からない

ポワン・ド・キャピトンもそうなのだが意外に未だに精神分析
有効説を持っており(それこそ薬理とか関係ない場合)、それら
を恐らく根こそぎにしようとしてるカルトの根源的なみすぼらしさに耐えられない。殺風景な精神的環境を他人の感覚与件にしないという事。
http://books.google.co.jp/books?id=XWu9Bz_OlWMC&pg=PA157&lpg=PA157&dq=ポワン・ド・キャピトン&source=bl&ots=JAlACy0-I8&sig=pRkU-ZL2gvSXd970byKqIY2eKSo&hl=ja&sa=X&ei=l0CcUvSyF4m8kAWbwIDgBA&redir_esc=y#v=onepage&q=ポワン・ド・キャピトン&f=false


ケイティ・ペリーを別段あまり好きでないにしろ、何の
権限があって高圧的に人の人生に介入するのか、しかも醜くて
おじさんなのかは問うべきだし、身体で懐柔は女衒が用意する
女性に頼むべき事ではと思う。汚などころに。

現実の女衒相場的には30円程度でも自分の思弁的なレイヤに
ある愛の感情とかキスの愛らしい仕草を3億位で買い取らせ
られないか画策する。感情の一個一個に値札を付けたい。

ラカン的には原抑圧の解除が精神病の発症で、距離感の崩壊とか充分に構築されてる心理的モジュレーションの排除だが、それを人為的に出来るか出来ないか以前に、勝手に投薬したりロボトミーしたり脳にチップを埋め込まれたり衛星で監視された場合、精神分析的なプロセスは殆ど意味がなくなってしまうなという気がする。
(この項続ける)