ベンヤミンと具体性

ベンヤミン好きなのは愚図っぽい要素が希薄だからであり、
恐らく頭の回転がとても速いが適度に気を抜いて生きていた
ように感じられるからだと思う(ナチ台頭の状況下でその点だけで充分人として好ましいというのが、十代終わり頃初めてベンヤミンを読んだ時の実感だった)。
それに対し某学律の教授の病的で愚図な点、数年前から関わり合いになりたくないし、と思ってるにも関わらず、一向監視がやめられないのはやっぱりなんかの嫌がらせ、と思う。あと究極的に付き合ってやれる女性しか研究者として認められないというのは、ごく普通にその学律の部外者としてもどうかと思うのだが。そこで汚物口に入れて同性に不必要にファリックな盗癖丸出しの変態女(悪い意味で、というか両性覗きはおかしい。そんな奴に確かに才気はないというかその時点で才覚を不審な感じの入出力が上回る)と、ごくミニマムな常識とベンヤミンだったらベンヤミンの愛好から自律していろいろ試みようとしてる人間と等価で比べようとしたら、不快になるのは当たり前じゃない、と思う。何故定期的に下衆女性とトレードした気で尚且つ愚図なそぶりを見せるか全く意味不明。ごく単純に考えて、自分がオリジネーターの発想を自分より遥かに不細工で、本読んでないけど中年数名の汚物処理を買って出た人間に盗用させてる奴と付き合う筈がないじゃないのと思うのだが。しかし大学の体質の問題なのかも知れず、普通に論文改ざんの話があがってるとつくづく淀んでいる気がする。
(常時監視とエスノグラフィーみたいな事が言えるかというと、
前にハル・フォスターを読んだ時にそういう事がそこそこ言えて
しまうような気もしたが、居心地の悪いアブジェクトアートなり
メタフィクションみたいなものが、実は全く好きじゃない。が、
適当なところで論旨をまとめる事は出来る気がする。アブジェクトアートにしろバタイユにしろ、普通の日常性にとって過剰で不必要だと思うが。今芸術論書くとしたらそれで、ある男性主体のアート人材に社会的な適応能力がなく、女性が完璧にハブかインターフェイスに使われるが、それについて形式的に回収する能力がなくなし崩しに人間関係が強いられる事の政治性、みたいな話になる。面白そうなので本当に持ち込みした方がいいかも知れないが)

そういう病巣なので、疑似科学を市場化する妙な脳科学者が暗躍する下地があるのも頷ける事で、しかもそれが根本的な個人の自律に全く結びつかないけなし合いに発展するのも妙な感じ。
とはいえ、普通のその大学出身者は寡黙で有能な人も多いので、落差にびっくりすることがある。

ベンヤミンについて書いたノートをどうしたいか、中井とも重なるところがある為その読みに拘りがあるが、出来ればそのうち旅行して亡くなった現場に供えたい感じがある。そして介護中のもと女性タレントを追い詰めて自殺に追い込んだのがそのカルトだとして、本質は全くナチと同格に思う。ミス・ユニバースは気の毒だけどその方だってとても気の毒なので、ちゃんと遡って捜査させるべきに思うのだが。
ベンヤミンにも可能性の中心と呼べるものが色々あるなという気がしていた。

衛星で他人を監視する料理研究家だの雑貨屋だの居たら不気味。
そして悪いけどこれだけははっきりしており、私に張り付いている
団塊の論客は二人とも娘さんがひどく不細工だと思う。そういう
老人に若い女の歓心を買いたいという欲望がある事が不気味。
愚図で陰険で社会的な評価も不細工の癖に成金、というのが
共通の属性で、才覚あって居心地が良さそうだから自殺に追い込むというのは言ってること完璧に無茶苦茶な気がする。
具体性なこと出来ない男を憎悪しており、恐らくフェミニスムの問題でなくその具体性のない男の疚しさから自分が抑圧されるという構図をどうにかしなければならない。虚業とか全部軽蔑している。