恐らく

汚物口にいれる事もなく、人格障害でも必死でもない自分の素の友人からの年賀状を見て途方に暮れる。既に数名で似たような事書いてるそのカルト絡みの手口の下品さ下らなさに慄然。
この段階で私に写真論についてのコンサル料位払うべきで、
そういう事一切出来ずひたすら自分のtwitterに盗品並べ立てる某学律の下らなさに吐き気がする。

脳科学者の汚物っぽさというか私ははっきり食糞男と呼んでいるが、そういうクズとカルト信者同士で下らない事書きあってるあたり、食品偽造とか並に追及すべきじゃないのと思う。
それは流石に躊躇われたが、急逝された某音楽家さんも、その仏教系カルトの論客を遠ざけていればもっと長く素敵な音楽を作った気がする。ともかく他人に張り付き倒してさも自分の発想みたいにたかるという事を繰り返してるのは確かで、本来ならストレス感じずにすぐ刑事的に決着つけられれば一番良いのだが、今年はそういう事してる男を目こぼししてる女性も告発して行きたい。それにしてもなんでこう汚らしいのか全く意味不明。犬に重ねられてあれこれ書かれて易々諾々と従うなんてあり得ない筈で、そういうクリエイターの売る食品だの食器だの身体に悪いもの入ってる可能性が高いと思う。

かなり食べても体重が増加しなくなってしまい驚愕。ダイエット成功と見るべきなのだろうが、体重計に乗ってちょっと太ったかなと思ったところすかさず行動に投影同一視してきた某文筆家は、口から出まかせのダイエット途中放棄した上、類い稀な素敵な音楽を作ってた方のストレスの遠因になり、早逝させた。二番煎じでしか文章書けないご自分がお亡くなりになるべきだったのにねと思う。どうせ呪うならご自分の身内に限定すれば、と思う。
こういう事は通常言わなくて済むような事なのだが、こういうロジックで信者を増やしているカルトがどれだけ下らない認識かよく分かると思う。不幸に対し罰だ、という論法を、その文筆家は震災の時に使っていて愕然とした。そういう鬼畜を社会生活してるとシールド出来るけど、取りいるか威丈高に振る舞って、他人の心理的リソースを私物化してるというのが現状だろうと思う。

今年は肌力を自前でどうにかしよう。すっぴんというかファンデーション使わない化粧かなりオーソドックスだと思うが、老人の嫌がらせでストレスとか話にならないわと思う。
流石になんか病気だったらやだなと思うが、せっかくなので美味しいもの食べよう。

デジタル・ナルシス発見。読み始めて面白く一気に読了する。
これ90年代の半ばに読んだ時殆ど書いてある事の意味内容が分からなかった筈だが、パイオニアはパイオニアで焼き直しは焼き直しという事をすごくリアルに感じる。情報工学や冷戦構造下の軍事技術や感覚質の研究を、だからカルトが取り込んでもなんの意味体系も胚胎しないというのがほんとのところなのではないか。今全くヘテロな情報流通を媒介する第三項が機械という形式になっておらず、単なる成金がその座を占めてしまっているから気持ち悪いのだろうなぁとつくづく。端末はあくまでもパーソナルに使う権限があるものなのに、いちいち全く魅力もないカルトの老人が媒介として作用したがり、そいつを容認しないとエンドレスで生活が損ねられるとなるとやっぱり犯罪として告発した方がいいように思う。
もともとインターネット自体をパクリの方便としか捉えず、尚且つ犬の汚物と食べ物セットで載せるようなセンスは、エスニシティの問題じゃなく汚らしいし、それを容認してる女性は同じ汚物男と寝てる後ろめたさで繋がってるんだろうと思うと総毛立つ。だから豚体型の料理研究家とのコラボとかそんなものばかりなんだろうし、手芸研究家の図面に間違いばかりとかそういう事になるのだろうなと思う。人為的体温上昇もそうだが、体調不良の遠因になった場合覗きとそれに同調してる汚物女性が居る訳で、ほんと自分の感覚と分けたいと思う。特にそこそこおっとりしたままの女性と同性の覗きと等価交換はあり得ず、そういうのほど自我障害で人の言動をなぞってくるが、私の友人で汚物好きなんか居ないと思うとほんと気持ち悪い。

デジタル・ナルシスで取り扱われているヘテロロジックなものの3つ目の媒介項として機械論と情報工学があるという考え方について、かなり納得できるものがある。情報工学ネオテニー
について詳しく説明されているが、もともとネットに限らず何かを吟味したり精査する時点でヘテロな感覚というのは(特に過剰でない形で)作用しているし、そこに第3の項目が置かれる時
それは統合的で結構現実を亢進させる直観的なものなんだろうなという気がする(概ね上手くいってる日常自体がそんなものに思えるのだが)。それはインターネットなんて関係なく、多分初期の吉本隆明さんにとっても同じだったような気がし、詩とか固有時みたいなものは現実の中のヘテロなものとか差異を上手くセンサリングする為の仕組みであり、老人に対する慰撫のモメントじゃなかったような気がしている。
にも関わらず、コミュニケーション取るための道具としてだけインターネットをとらえた場合、利権に近しいとこに自分を置いた老人がエンドレスで承認を求めたり自分の愚にもつかない商品を販売する為の道具として使っているという現実がある気がする。でもそんな奴に自分の現実の構成を勝手に変えられたくないし、こちらから関心を持つわけでもコミュニケーションをとりたい訳でもない、と言われた時、どの位反省できるのか全く不明。その状態で何にでも言及したがる態度を本当に不気味に思う。というかまともな人は年代関係なく、媒介項として他人をひたすらコントロールしようとなんてしないんだが、殆どそれしかない人ほど他人に憑りつきやすく、そのせいで心身不調になったら世話ないなという気がする。一気に法制化するのは難しいだろうけど、媒介項として明らかに人の創造性なり自明性を二次利用しかしないものについてはもっと敏感になっていいような気がする。普通に考えていい年した人が自分の個人的端末から勝手に情報を
引き抜いてたら犯罪だと思うはずだけど、相手が名目だけでもクリエイターだと何も問題視されないというのはおかしい。しかも大手通信会社の広告に口利きする立場でそういう事をしていたら、
被害に遭っているのも絶対自分だけじゃない気がする。
               ♪
とはいえ、ベイトソンはともかくノイマンチューリングもきっつという感じで、なんだかよくわからない部分が多いのだが、自分の端末を自分のために使えず、変な人が常時監視してるとか第三項が暴力団とか
いう話のくだらなさに比べればマシという気がする。同じ条件で同じ端末を使ってて、たまたまプロバイダに新興宗教信者の知人が居てそれを経由して個人情報を入手するとか、そういう事は形式的に
許されていい筈もなく、成金であれば余計にそうだという気がするのだが。
地味にゴンブローヴィッチがとても読みたくなる。ゴンブローヴィッチも昔読んだときさっぱり訳が分からなかったのだが。
全然コミュニケーションが取れなかったが、地味に卒論作成時の先生がデカルトの専門家だった為、心身問題と情報みたいな事はうっすら念頭にありつつ文学に比べると面白くないし
訳が分からないので、デカルトを読むことをしなかったのだった。それを考えるとその後急にすごく俗な部分でいい加減な脳科学が流行し、ヘテロジーも第三項も関係なく他人の
情動を完璧に外在的にコントロール可能かも知れないということになると、なんだかすごく嫌な気分になる。この話の被害者を素朴実在論的に生きている人に限定した場合、やっぱり
いろいろと許しがたいものを感じる。


澁澤の中で一番外在的にやばい感じがしたこの本
仕事しつつちゃんと外国語学習も貫徹する気があったのだが、
それに対し他人に盗用させたりヤフオクの購入履歴にtwitterで言及とかそういう微妙な嫌がらせが何なのかよく理解出来ない。色々と歪すぎるものを感じる。究極的には社会生活を送りながら幻想文学読んだり単に居心地よく存在する事さえ、なし崩しに一元化しようとしてるのだろうかと思う。
…しかし澁澤と安部公房倉橋由美子は殆ど出てる分あって、
気にいると全部揃えるものという先入観があったのでヴィアン
18位の時に全集買って読んでたのだが(アンドレ・ポップという
ジャズ共作したオーガナイザーのCDまでお小遣い切り詰めて買ったりしてた)、それから時間が経って普通に社会生活営んでて嫌がらせし倒されるのも納得いかないなと思う。谷川健一全集も別に常識的に仕事しながら買えなくない気もするのだが。盗用とか流用の後ろめたさで逆切れしてるとしたらヤクザより酷い気がする。

とはいえ文学はしっかり読んでれば色んなフォーメーションが
分かって応用も出来て楽しいが(今でも意識の流れで書きたいし
たまには詩を書きたい)、実績なしに医学とか精神医学とかうそ寒い事だよねと思う。