具現

弧をかく建造物のほんの端の方に居て、移動しながら
触覚的に歌う、という夢ではなく何かの感覚的な残滓から来る
ファンタスムのようなもの。タイトに心身を規制はしない。

タイトに心身が規制される前は、歩いたり触ったり泳ぐことで
風合いのいい世界の拡がりを感じており、無理な形で情報化
されたものが自分の元々の精神的スケールに対して機能し、
競合的に働くということがあまりなかった。そういう時間の回復。

踊りや運転も規制を解除するが、身体論にかこつけて心身あるいは
脳を規制する方法と症候があるなら、それが形式的に問題ないのか、自分に無駄な采配を振るわないか確認する必要がある。

近隣の新古書店かと思っていた古本屋が存外まともだった為、
色々と見ながらゆっくり一冊読み終わってからにしようと思う。
中井英夫アサヒグラフの文庫本などがある感じ。
シュペルヴィエルに多分適正な金額がついている。単にそういうところで本買って、ゆっくり読みたい。

ジャコメッティ エクリ 販売という検索語があるが、みすず書房で出てて7000円位する本だが読むと毎日同じ彫刻なり絵を、モデルの事見ながら作る凄さを感じられるしジャコメッティの初期の夢想みたいなものは、シュルレアリスムから除名されたといえ凄く面白い。
私の現実 のパートを入力して持ってるけど他人の言葉でも、何だか追体験できる部分が多くて読みながらくらくらします。
カフェで貰うペーパーナフキンとかカルパン(備忘録)と言われる手帳に書いていたと聞いて、シンプルな感じに惹かれました。
昔絶対にイポリット・マンドロンのアトリエに行ってみたいと思い、多分当時と全然違うのだが行けたのは本当に良かった。そのうちボルゴノーヴォの小さな村スタンパにも行ってみたい。

ヒヤシンスハウス 平面 もあるが、買って図面持ってるのでそのうちアップしてみます。

なんの衒いもなく手間のない紙切れに単に書くとか、別にクリエイティヴという意識なく昨日見た人が今日どう見えるか書くとか。始めていつ終わるか分からないが書く道具に衒いが全くないのが、とても開放的に思える。

可愛いカバーの手帳は機嫌が良くなるが毎年買い換える必要は無いように思う

これは立原道造の1936年の手帳

これは矢内原伊作を描いていた時のジャコメッティの手帳

なんかレットル・フランセーズの切れ端に重ね書き



買いたいものは買うし切り詰めたい時は切り詰めるよねと思う。
1980年代から30年間80年代を引っ張りたい老人が、消費を
あざとくコントロールしてるのは異常だと思うのだが。