単なる

感想として、ビッグデータの収集活用とかクラウドコンピューティングみたいな概念も言葉も好きなのだが(なんかちょっと群集の中の孤独的であり)、集めた情報をオーサライズするのが単にある時期に一定以上蓄財した老人であり、うるさ型というか殆ど言いがかりみたいなインターネットについてのイメージを、やっぱり最初から権限大きめの媒体を使って一方的に喧伝するというのは凄いいびつな事なので、何処かでストップ掛けないといけないと思うのだがどうなのか、と思う。少なくとも10代の頃から最初のパソコンがあって情報処理必修なのに、収集した情報を自分で生きてて気分良いと思えるよう最適化出来ない(その環境が恣意的に歪められるし、その歪みは新興宗教由来である)というのはものすごくおかしい事に思うのだが。

それ考えると中井正一の検索システムについての文章とかの方が、よっぽどクラウドコンピューティングのイメージに近いような気がする

60代の人の大半は自分のして来た事が正当に大事で、年齢の離れた人間の私的領域に介入する為にインターネット使う暇もないと思うが、80年代っぽい老人の数名は動機から政治的スタンスから情報の私物化する姿勢から何から何もかも気持ち悪くとても変で、采配振るわれたら確実に意気消沈すると思う。人的資源と自然現象や喩と機械化の構成が御都合主義過ぎる気がするのだが。

80年代シンプルじゃないとこがイヤで、macもそうなのだけどAppleの製品は殆どシンプルだし意味不明感が少ない。そして自然観との接続性がいい。みんなそれ使ってるのに老人クリエイターが情報私有化とか気分悪過ぎ、他人にも加害する筈と思う。