もろに

上げ下げに、特徴を暗号化してエントリされてるのとそうでないのとあるのに気づく。それで相互あてがいし易くしてるのは何か愛人シンジゲートとかのあれなのかと思うとひたすら寒い。最極北にとても病気で蓄財だけしてるド変態とか居ると思うと、エントリそのものを解除したい気に。そういうとこに誘導する為偏向した特徴で呼ばれ煽られてる人とか居そうである。すーごい気持ち悪。猫でもないし手でもないです。見込まれる位なのだから良いもの持っているのだろうが、それはカルトの為に無いのである。

しかし仏教系カルト猫嫌い多いというのは結構本当らしい。コンフォーミスティックじゃないからか

当初ブログタイトルを十四行詩網 ミニマ・モラリアにしてて、室内楽というか訥々としたピアノ演奏とか十四行詩とか形式的に良いと思う。クラヴサンのちりちりした小さい音とかプリペアドピアノみたいのも好きなのだった。アドルノのピアノ演奏も音源聴いてみたいが。今日は何故かジムノペディが聴けた。(昔絶対音感のある当時の友人に弾いて貰った)淡々と生計立てて部屋では現代音楽だのインダストリアルだの聴いて寛ぎたい人って300万人位居て欲しいが、そうじゃないからぎこちない、下らない雑貨の無理押しする爺いがのさばるのかと思うと、その点だけ嫌な国という気がする。
ゴーストライター以前に、何の実態もない自己喧伝の絶対上位化みたいでほんと不気味。

某学で政治的に成立した政治家のLa mariage tres violente(学ないのでアクセントとか知らず)の記録にドン引きし、ハゲと政治的婚姻に対する警戒心MAXになる。というかその学内に女体としてアクセスするの絶対勘弁だし、パーツに分けて呼び出されるのも迷惑な気がする。私の仕事は市井で論文を書くことと内装提案の為、それ以外は学内の温泉とデュシャンで賄うべきではないか。

某コピーライターの悪口ばかり書いているのだが改めてこいつ
だけはイヤという気になる。何というか他人の愛着から来る
関係性というか根源的な好悪に対する余計なアクセスが激しい。
そんなものショートサーキットさせても一朝一夕に改悪したくないに決まってるし、あなたの事一個も好きになれる要素がないと
いうのが何故理解出来ないか不思議。はっきり生きててここまで
人を憎悪すると思わなかったという位無理。関わり合いになりたくない。

きれいな光源で良い音楽聴きたいって、2,30代の欲求としては一番
単純で分かりやすい気がするのだが、何処に居ても5.60代の無理押しの激しい人のオーダーを優先させなきゃいけない世界は狂気に満ちてる気がするのだがどうなのか。