全然

普通の料理教室でオーソドックスな料理楽しい。

世間話しながら私こういうの好きなんだわと
思い、やはり世間にあんまそのカルトの人いない気がするのだが。
早いとこまともにすべき事継続出来る環境をつくんなきゃいけない。そして詐欺師にお金かけ過ぎの世界がいけないのじゃないかという事を思う。

絶対音感欲しい。今まで変な目にあって来た分金銭的な償い以外に、何かひとつ能力を貰えるとしたら、絶対音感がいい。それがある人に適正価値を見出す世界はいいなと思う。障がいを詐称する詐欺師に大枚はたいても仕方ないような気がするのだが。

一時の状態を脱却し、ただ端末を使って文書作成をしている時の
個別化された意識と対外的な平穏さだけはどうにかしなければな
と思いつつ、岩波版の「ナジャ」を註抜きに通読。
現代思想的な狂気というかラカンフーコーも当然関係ないブルトンは、ドゥルーズともあまりにも関係ない。トロツキーの霊感的政治に駆動され、自動書記と場に依拠してるブルトンが意味を見出したナジャの症候群は、ナジャがボロボロになって収監される以前の
段階で、シュルレアリスムの詩を読みつけているブルトンには特に狂ったものと感じるものでは無かったが、ナジャは最終的に宿泊先のホテルで嗅覚と視覚性の幻覚に見舞われ、入院してしまう。そこからブルトンは熾烈な精神病院と拘禁批判を行い、要は精神病院が
病者を作るに過ぎず、個々の症状は地震計のように繊細で許される
べきものであり、美は痙攣的なものだろう、それ以外にはないだろう、という結語で終わる訳だが、、
この版の詳細な註と後書きでは、ブルトン実はナジャの狂気を察していて、精神病院を世話する段取りも組んでいたという後年の「酷薄な」研究概要にも触れられている。つまり臨床的な勘から、寄る辺ないナジャに強い逆転移感情を覚えていたブルトンは、その事がナジャの精神的基盤を危うくしかねない事に自覚的だったが、作品として取りまとめる為に美化し自分の後ろめたさを覆い隠す為に、熾烈な精神病院批判をしたのであろうと。ありそうな事ではある。というか事実なのだろう。
(待遇の良い精神病院に紹介しようとしてたという事らしく、
病ませて病院送りとかそういう話ではないが)

そうは言っても、やはり文章が詩的なブルトンの隠蔽力には敬服する。変な女を弄ってたらメンヘラ化して精神病院に入院しちゃったよ、では当然作品にならないので、あくまでナジャという人がとても魅力的だった点、詩的な修辞を使って昇華させる訳である。
(単に額面通り読むと、自然のエレメントと手の比喩が多用された
とても詩的で美しい本。昔「夢のレシピ」というオマージュを書いたことがあった)
そしてナジャを誰が読んでも何と無く解る話として定着させたいというのは、結局のところ安い性労働力として精神的に病んだ女性を必要とし、洗脳だの脳科学を濫用しながら、都合悪くなると統合失調扱いしたり下手すると自殺に見せかけて殺したりしている仏教系カルトにひたすら嫌悪感を覚えるからである。それは痙攣的な美しさもないし、練炭自殺に追い込まれた方が嫌いな色の服を着せられていたように、頭悪く容姿も醜い同性を加害者として巻き込む。ここ20年位で女性に集団で症候を押しきせて延命図って許される程の、卓越した精神的人物なんていない様に見えるし、精神性を踏まえていれば当然見え透いた事はしない様に思う(この項続く)

読みながらつくづく人間精神は健康で良いと思う。しかしそう
単線的に割り切れない事態が到来した時、出来るだけ楽し気に、
尚且つ見た目とか生活習慣も擦りきれずに切り抜けたい。おかしいおっさんに付け狙われて変な精神状態になった女子でも、免許とったり精神科に一切かからなかったり、料理教室に通ったりワクワクし続けて、10年消耗しても後の60年を楽しく生きる。えせドゥルーズ主義者や美術批評家から正当に自分の立場を奪還する。出来れば先のない成金じじいから慰謝料もしっかり取る。それから介護中に自殺に追い込まれたり、練炭自殺に見せかけられた人には然るべき追悼をする。そんな事してまで上位化出来る様な業界人だの
教祖など一切居ないし、下らない問題はあからさまに下らない数匹の、なんの実態もない成金を外せば解消に近づくように思う。

まだ時間の猶予はかなりある為、40代迄に無理矢理一切カルトの絡まないフランス文学者になる事にする。よりによって仏文科の教授とかから邪魔されると思わなかったのである。

某コピーライターが死後硬直なみに更新してないし、大御所とか言われてても私の文章パクっているので、私もコピーライター出来そうな気がする。

Timeless confortみたいな惹句とポルノっぽさ馴染まない。
家具に名称をつける時に前者と後者の配分を考えるのと同じように、自分が常にどっちの態度を要求されてるか推しはかるというのも馬鹿馬鹿しいし、まるで自分の記憶が加味されていない。
考え込んだ挙句、自分の態度としては両方市場に出さないという事になる。(全部トレース可能だとしても)