クリアランス

職場から帰りつつ、色々懸念していた事に人心地つく。
リアランスが取れるというか単にスッとした感じに。

ベンヤミン・フラグメントのイビサ島に居るオブライエンという変わり者の話を読みながら。あらゆる食事は治療行為か服毒行為であり、食事をするものは自分を一種の病気治療者とみなさなければいけない、という説。それ程ではないが、全部単純化した(ファシスト体制的な?)瑜の場合、そういう事もあるかも知れないと。

山梨県心配だ。明後日また大雪にならないといいけどと思う。
中央道崩落の時も驚いたが、初めて一般道で高速に乗って行った
先が山梨だった為、さして距離がないのにこんなに積もるもの
なのねという気がする。

何とか体制を整えつつ、家の中で考え事しながらの空白をやり過ごす方法を幾つかイメージする。それ宛に整合性がしっかり取れるようなポイント。

美術家更新がなく、こういう余剰物(汚物)に性的な受け皿が
なくストーカー化させる制度の本質的な封鎖性がうっとおしい。
制度内で使いまわすのにメリットがないのに身内庇いのフォーム
がやけにしっかりしているという形態
で文化生産されるのはすごく気持ち悪いよなと思う。
最初から個別に考える鍛練があった場合どうなのか
汚物食の傾向をバラしあってるのもキモい。おばさんの据膳も
入手出来ないのに、私が相手する筈無いじゃないと思うのだが。