ポストモダンがどうとか以上に

レーモン・ルーセルの強い栄光の感覚、書字で光が
洩れる程の(神経化された)痛みを伴う栄光、みたいな
ものも気になっていた。が、かなり時間が経ってついぞ
そういうものの為に脱落する事が無かったと思う。

そう考えてみると日記でルーセルに言及しており、
レリスのルーセル論もとても好きなのだが、シャルコー
の分析については読んでない。同じように予め症例として
書字した日本の作家として誰を思い浮かべ得るのか?
など、眼高手低にやり過ごせる文学上の形式なんてあまり
ないし、やっぱりある程度の原型は20世紀に出ている気がする。
静かな部屋でコーヒーのみながらそういう事考えられる時、
ほんとに楽しい。反復と心理的素材の多彩さみたいな事を考えさせられる。

珊瑚のメレでパイナップルの形を作ったペンダントがあり、
なんか気温低いとしきりに 思い浮かべる。