nine inch nailsを

聴いてくる。前回5年前のサマソニにて活動休止前
聴いた際は屋外だったが、室内で単体ライブだった
為どんな感じか色々と。

そしてfatboy slimの際と同じく背後から指圧される。
意外にもモッシュなどなくて比較的普通に聴ける感じだった。

内在と具体性についてもう少しまともに考えようという気に。
体調の調整はどうにかついたが、相変わらず否定神学と融解の回路みたいな事を、かなりシステマティックに考える。
(媒介物と融解する仕組みたいな事柄への継続的関心から。
物質や薬理と全く関係なく、単に否定的な媒介物の複数生起で「これ」が「こう」見える事の外部があるのではないか等)


ドゥルーズを読みながら、芯のところで、日本文学の持続
するテーマみたいな事を考えていた時間を少し思い返す。
(そういったものがもしあるとして、それを感じ取れば意識の
流れを文体としてFIXできるのだろうという感覚。今考えるとベルクソンについて思いめぐらすとしても、そんなのあまり意味がないのではないかという気がするのだが)。

というより、ドゥルーズを問題にしていてもブルトンベンヤミン
が気がかり(気がかりというのもよく解らない)だった事を
ひたすら思う。未だにあるあのベンヤミンをちゃんと読み取りたいという感覚は何なのだろうと。「差異と反復」を読みながら、単に
無根拠に日本文学の中で定立点を喪った形式をどう成り立たせるか考えていて、そんなの定立していないとみなす自分の僭越でしかなかったようにも思う(精神分析にしろ現象学にしろ意識の流れにしろ、読みきれてないだけで上手いこと導入された作品があるように思った)