雛祭り





可愛いというかデリカシーを感じる。
人形で意味不明に歯茎むき出しとか嫌な事であり、
気持ち悪いなら悪いなりに形式的な説明がないと
話にならないように思う。60代で家族形成に
挫折した人間のルサンチマン醜い。国籍での
差別を軽蔑するけど、ゴミコピーライターは
人間に届いてない癖に
クリエイターとかおこがましいので、日本から
出ていけと思う。

ドイツまともに国が音楽家に施設提供する国
だと知り、良いなあ暮らしやすそうだなと思う。
ゴーストライターもそうだが結局80年代から愚にも
つかなくて、その分女衒兼業してるようなのにずーっと
クリエイター面させているからクリアランスが取れない
のではないかと思い、老人鬱で潰れて欲しい気持ちで
いっぱいになる。

大変素朴な見解かも知れないが、ファブリックする人なら
その業界の人、音楽なり彫刻なり何らかの作品を作る人ならその人のオリジナリティーと内省を、国だの世間だのテレビ業界が侵犯する権限なんて皆無だと思うし、ジャコメッティのアトリエのように20代で
移り住んで晩年まで定住出来なきゃおかしいと思うのだが。
そして私がおかしいという老人は皆人相も表情も同世代の
方と比べ格段におかしい。しかも最初猿だの不細工だのと
いった評価を下したくなかったが、最近自分がめげるような
仄めかしはなく次第に不細工は不細工、猿は猿で世論形成さ
れそうですごく嬉しい。そういうのから絶対雑貨や食べ物買っちゃ駄目と思う。
これも素朴だがその老人の分、まともな2,30代が制作に専念出来て
アートならアートを論じるのもどんどん権限を与えないと、個々の
論じられてる対象がなに考えてる人なのか全く分からず、ずるずる
あれまだ80年代だっけ、となってしまう気がする。

ベンヤミンブルトンも全然ドゥルーズ的ではない、というより、
考えてみると器官なき身体に(多分精神分析的な意味での)抵抗
を感じてた気がする。それが自分のドゥルーズの読み方をとても曖昧にしていた気がし、どちらにせよズーラヴィクビリを読み返したい気に。

例えばフランシス・ベーコンはそれに詳しい人が論じれば良いのだし現代美術も同じで、脳やそれに付随する市場の問題ではない。

医食同源の研究機関は地味に関心があるなという気に。
何だかアートと行きがかり上洗脳の解除だの何だの書いて
いるとしても、20代前半の私は料理好きで心身問題とか
関わるなら健康でいようとボディセラピーを習っていた。
結局その保険が効いているので破綻しなくて済んでいる
ことが沢山あるように思うが、その後幸福追求権というか
単なる個々人の心身の健康をないがしろにするようなカルト
が自説を無理押しした、その連続性の延長で自分の感覚まで他人が
操作出来ると思いこまされてるのがおかしい気がする。