FM横浜が/欲しいけど高い

何故か味方な昨今、、、仕事中聴きながら複雑な心境に。
仕事ください。横浜生まれ横浜育ちでこの街が
一番好きです。自分の性格上だからイベント出る
とか一切ないのだが、小山薫堂さんのファンである。
書いてFM横浜聴く時はづかしい位にはファンである。
ファンでも直情的な行動は一切取らないので大丈夫だが。
数ヶ月若干ダークサイドの遍在を感じていたが、
FM横浜頼まれれば構成作家位はするという気に。
ここ数年で自分から会いに行きたいと思って会った芸能人が
2007年のベルナール・スティグレールの講演だけである事に
気づく。という位パラノイアックな直情行動を取らないし、
下世話なセッティングもしない。ベルナール・スティグレール
楽しそうなおっさんで何か和んだ。

都内でご挨拶。茂も含め薬物中毒者にヤリ部屋提供の下着屋の女衒おばさん
からネタを仕入れてる同士嫌がらせしてる可能性があり、
なんでこんな下衆などブスでも繁殖欲があるのかねと思う。
特に神奈川県下は、こういうきったない人に対してクリアランス
をしっかりとって欲しい。FM横浜がましだったの神奈川県警が
入ってるからなのかしらとも思う。どんどん摘発した方が自治体の価値も上がるし、柄の悪い地方出身者じゃなくてそこそこ落ち着いてて気分良く生きてる地元の人もしっかり守れると思う。
仏文科教授とかでもモロにそういう匂いのする人から文法教わる
のも嫌だという気がする。
某学律は半病人相手にサドの研究するメリットの希薄さを認識
して、同じ事というか先行研究がリスク高いものなら先に城建てて欲しい。気持ち悪いというか一時期キモ顔
というフレーズが結構流れてて、あ…嫌われ者の子たち…という
感じになった。愛人の整形女子は鳴かず飛ばずであり、私の書いたもの盗作させるわ愛人としてトレードしたげだわ、整形投下地点の
空回りも含めて何処かの女流棋士の師匠を思わせる(身体的関わり
は一切ごめんだし県警にはおどろおどろしいと言われているが)
小保方さんの批判なんて一切出来ない形骸学律という気がするが。
バシュラールの企画の流用も含め、盗品の羅列をカルトで押さえないと成立しないなら、民間で仕事してる人間の邪魔をしないで欲しい。

スーザン・ソンタグが好きであり、かなり何度も言及して居るが
読んでるととても色々な事が分かる。
特にバシュラールのバルトに対する影響というのは読んでいて興味深い。ベンヤミンについては、かなり自分と違う観点。
反解釈も好きだが、ラディカルな意志のスタイルがとても好きであり、日記を読み終わったらベンヤミンと一緒にゆっくり読みたい。
児童文学者になろうと思っていた事があり、ベンヤミンの子供番組
か何かの出演にかなり前から関心があるにも関わらず調べられない
でいる。ソンタグもそうだが、作家の親子関係に結構関心があるという気に。

エルデコおまけ付きを追っている。が、記事を読んでいてやっぱり勉強になるなぁという気がする。

これは素敵。

ソンタグを左派知識人として好きな訳でなく、単に好きなだけという気がする。

見ちゃった以上欲しくなるのだが
http://www.msz.co.jp/book/detail/07811.html
エレーヌ・シクスーとデリダの共著、4000円は高いが欲しい。
こうして読みたい本は高くても買ってきていた為、嫌がらせしてまでパクって整形代に変えてる人間が醜い場合や、盗用してるのに発想が貧困で下世話だった場合怒らずにおれない訳よと思う。
沈む日本もそうなのだが、左派とされている人の人間性の劣化が凄まじく、右傾してる人の言い分も少しは分からないでもない。国内の赤の他人に向けて、カルト介して自分の人格障害を押し当ててる60代は本当に気持ち悪いという気がする。
災害が起きた時真っ先に自分の住んでる国を脅しつけるというか牽制するのは変であり、娘位の年齢の人間を性的慰労の為に入手したいからと言って、カルトが取り込んでる何かの電磁技術を勝手に使うというのははっきり生きてても仕方ないと思うのだがどうなのか。

オカルティックな意味付け可能な外在性に対して、最初からキリスト教圏の考え方の方が可動性が高く、カルトはカルトが用意した喩の中しか動けないし存在論を適用すれば少しはこなれた考え方も出来る。

「 マーケティング技術は個人の個人的な特異性や集団的な特殊性に手を触れ、象徴的なものを極端に貧しいものにしていく。

 市場とマーケティングの統治によって、個人は消費者となり、その消費活動によって個人は特異なものへの審美的な愛着能力を失うのだ。

 こういった管理社会は欲望を失わせるところにまで到達している。というのも現代の生活様式は、工業製品をひたすら流通させなければならないからだ。

 社会は愛着心をコントロールし、人々は全面的な審美戦争に直面している。大規模産業によって、イメージ技術は世界の変貌の主要武器となり、非知の時代に広汎にみられる価値の低減化を進行させている。

 「この本は、消費者が消費物の方にリビドーを繋げることによって、もっとも重要なナルシスを破壊してしまったことに対する私の考察の続きです。そのことについては、『愛し、愛され、愛し合う』で展開しました。

 私たちの時代の特徴は、産業技術によって象徴をコントロールすることです。そこでは美が武器となり、経済戦争の劇場となっているのです。その結果、情報操作が経験に置き換わっている悲惨な状態が起きているのです。」

スティグレールについて書かれたこの説は好きであり、情報操作を経験に置き換えてナショナリティを放棄させてる流れがあるのならコピーライターであれある種の特殊な大学自治であれ脳科学であれ問題にすべきという気がする。
某コピーライターがしてる事は本当に情報操作を経験に置き換えてるだけの気がし、この人親から何か教えてもらった経験とか凄く希薄でひたすら他人の猿真似で来たんだろうなと思うのだが、他人の環境に干渉して同じ事して良いはず無いでしょと思う。覗きや盗用の被害にあうので絶対関わらない方が良い。