認識論的切断

について、どうも思ったよう読みきれてない、理解しきれてないという気持ちを抱きつつ、最低バシュラール全部読むべきなのだろうなと感じる。

単純に覚書でしか無いが、子供は際限なく幼児がえりする大人
に比べると可愛く、子供と素で張り合って自分の要求が通らないと理不尽に抑圧するような体制には不審を感じる。音が出る靴より盗品塗れで敬意が欲しいとか騒ぐ老人をうざがり、排斥すべきだとおもうが。
老人の場合1時間8万でも話おかしい 未来とか無い訳だし
あとそのカルト信者は「早く寝ろ」「眠い」「カレー」「カツカレー」が文章に登場する割合が異様に高い。週に何回もカレーを早めに食べて寝入っておりそれが週に二三回に渡るとして、2.30代がそんなものに同調してたら変だし寝ろは余計なお世話に感じるのだが。お前と寝るのはご免だと思うし、カレーとかカツカレー額面通り以外の意味で使われるのは迷惑過ぎる。キモい。

打ち合わせ済み、もうひたすらこざっぱりしない5.60代男性と、一部の3,40代女性をうまい事組み合わせて面倒事がさっぱりした2.30代女性に及ばないようにして欲しいと思う。ともかく普通の社会体の中の普通のコミュニケーションに比べうっとくる。何かキモい、、、と感じてしまうのだ。

そう言えばドゥルーズの「小さな女の子に語るように、条件法で話し始めなければなりません…」という書き出しのエッセーが好きで、あれまた読みたい、と思う。ズーラビクヴィリと一緒に日付と事件も探す必要がある。

仕事しつつ、同時代に書かれた本を一冊読み終わる以前に、
末期の人間しか取らないようなコミュニケーションの形式(隠語がまさにそれ)が
予め感覚に与えられてて読む前にそこで自分を欺いてたらやだな
と強く思う。ブランショとかを分不相応に好きなのは、そういう感じが希薄だからじゃないのか。

究極的に何に悩んでるのかわかんないってば
というか別にそのままでよく、本当に悪意ある
場合の悪意は損益分岐を振り切れるようなかたちで、
徹底的に他人の領域から持ち出しながら始まるが、そうでない
形式がある以上、その損益分岐を振り切れた故の居直りは
何処かで矯められる。