こんな
このなんちゃらラムカンという器好きなのだが、
お店で見ても意外に使う方途を迷いそうに思う
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週刊文春か何かの見出しを見ながら何と無く乱倫って
使わない方がいい感ある言葉だなと思う。
しかしトーベ・ヤンソンは当時の赤軍にコミットしてた
リベラルな左派で、ミイとミムラ姉さん、スナフキンは
異父兄妹なのだ。だから研究室には乱倫だったスナフキンの
母のステッカーを貼れば良かったのではないか。(子供6人位
連れてるイラストがちゃんとムーミン探すと載ってるので、、)
児童文学にも提案にも細かいので仕事ください
というか仕事邪魔しないでください
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あったかいとほんと機嫌いい。よしオゾンに行こうという気分になる。
反面なんでこんなラカニアンなんだろうなと思うこと頻り。
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「ナジャ わかる訳」についてつらつら考えながら。
この本は何十年も同じ体裁で出て、読む人に一定以上単に
日常性に関わらず自分の部屋の内部にいる人が居る、という
気がする。狂気が衒い、みたいな考えに思い至らず、
ぶっきらぼうに見たから読むだけ、という人も。
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クリアランスの重視という事を考えながら、具体的なもの
にもっと感覚を働かせようと思う。
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「1933年に「物理学の新論理の構造」の中で次のように書いているのはわたしではなく、ジュヴェ氏である。「新しいイマージュ、あるいは新しいイマージュの結合によってつくりだされた驚きの中にこそ、物理化学の進歩の最も重要な要素を見るべきである。何故なら、常にかなり冷静な論理を刺激し、論理が新たな整合性を打ち立てるように強いるのは、驚きであるからだ」(「狂気の愛」アンドレ・ブルトン)
若い研究者の方が突拍子ない研究室で細胞学について新発見した、と言われて騙されるバイアスは十分あり、同じような自己粉飾をおっさんの研究者(脳だの研究)がしても咎めだてされないし、オカルティストはもっと放置されているのにねと思う。
準結晶は十分ファンタスティックに見えた。
しかしブルトンはほんとにまともな事書いてるな、と思う。1930年代に。
信じるに価するのは黙って微笑みながら仕事として黄やピンクの壁を作り出す、美しく正直ものの建築業者だけなのである。