調べた方が

ご冥福をお祈りしますというのは心底の事で、やはり天国に相当するところで音楽をつくって行かれるのだろうなとは思うのだが、
昨年急逝された某音楽家さんのお別れ時の記事で、風邪でないのに風邪っぽい症状、脳が疲れた、、とのお話をされていたという記事を読み、これやはり仏教系カルト間の方法で(医療と結託して)何か陥れる方法論があるというのをしっかり調査すべきなのでは、と思う。
私は現況全く風邪でもないし疲れもないが、カルト信者ほんとにこういう語彙を使った気持ち悪い誘導が多いのだ。
某ミッションの仏文科教授はアクト・オブ・ザ・キリングに言及した辺りからあからさまに張り付かなくなったが、身近で不定愁訴でぐったり疲れ切る人が居る場合、やはりカルトを疑った方が良い。
あんまり好きな言い方じゃないが確かに普通の日本人の発想と違うというか、呪いにしろ憑依にしろ外在性と人間のごく単純な感覚を競合させる為に異常に努力するんだよなと思う。そしてみんな病んだ顔立ちしてる。大変抽象的だが目に生気ない。

そういう不定愁訴について、別に突拍子ない話でなくここ5年位でもかなり聞いた。禁煙ファシズムとかもそうだが完全に時代に逆行してるので、医療統計を取るべきなんじゃないかと思う。

バルト「偶景」を読む。南西部の光。緩やか。
「何でこいつが私の性愛的感情の手綱握ろうとすんの?」というのに不審感を持った時に、外部として読むのに丁度いい本。要はバルトのボーイハントの話なのだが、成金が例えば新興宗教の裏金にたかって、かなりな年寄りで焼き直しでも供託金があれば若い女を入手出来たり、疑似科学成金のようなものがその宗派を通じて入手する下衆な女性を「カツカレー」とかいう隠語で呼んでおり、自分としてはそういう下衆なセンスが耐えられないといった時に。バルトはパリでもタンジールでも相手の男性を描写しながら、レッテルを貼る事が愛から遠いと言う。それが自分を商品として登録し、レッテル化しようとして執拗に介入する女衒の品定めみたいな目線を
脱構築する。というかバルトは読んでる限りでは特定のエージェントみたいなものを通さずに男性をピックアップしてるので、異性愛だってほんとは同じで、唯の市井の人が特定のエージェントの手口に絡め取られながらしか愛情関係(というか単に好き嫌いの感情)を構築出来なきゃ異常だろうがと思う。
ごちゃごちゃした服飾品だの雑貨を商う人間が同時に女衒的なエージェントを兼ねてる時に(コピーライター兼見境ない買春者のように)、そのセンスがうざいと思って、しかし不快感の芯にあるものをしっかり言い当てられない。そういう時に読むと頭すっきりすると思う。

某所ロフトにて某手帳のプロモが明らかに目立たないようになってて嬉しい。ほんと単にコンプレックスのきつい地方出身のおじいさんで、若い女性巻き込むと思うと不愉快だわーと思う。
品川のペーパーウォールでも徐々に扱いが減ったのだった。見苦しいカルト老人なのでさわんない方が良い。


打ち合わせもそうだがジャケットのポッケはポールペンが
入るのが良いなと思う。しかしスペースペンは自分が宇宙
空間にいない以上それで打ち合わせする理由がいまいち解らず、
やはりハイテックかステッドラーが1番良い気もする。

小学生の時部屋にエッシャーのジグソーパズルを飾っており、
人間進歩ないし全然人付き合いが苦痛じゃないが人嫌いなん
だろうなという事をつらつら思う。