ドゥルーズ横断

もどこかにあったはず

ドゥルーズにそれ程、というか全く科学的に超越したものを
読み込んでなかったし見ていなかった。そしてそれがフェティッシュが在る、という事なんだろうが、バラバラになった部分対象(手とか口とか足とか)が個人の記憶や意思を離れて、単独で意見表明や何かの決定を行う(かのような)言説や流れは何か変で、いくらヘーゲル的なトータライズされた主体性をドゥルーズが嫌っていたとしてもそんな話無かった気がする。というよりそれこそ色濃い官僚制とか傾向を感じる(ゴーゴリの「鼻」とか、アンドレイ・ベールイとかそっち系の話というか)しかし心身の監視や識別技術を使って、そういう個別のフェティッシュに対する負荷で分断的に決定項目を作りやすくなってるのもまた確かだが、なんかすごい呪わしさは感じる。(呪わしいと言語化した時点で下らないというか
呪わないで下さいよとしか言いよう無いんだが)
それでもって真善美ではないが、ある程度の統覚が働いた基準を内在的に持たない状態からあれこれ言われるのは滑稽というか、科学研究として嫌だが人文知といわれるともっと困惑する。あと日常性からフリークアウトし過ぎなのだよという事を思う。

因みに自分は割とよくある感じで張り切り屋なのと、ベールイとか
書いてても機嫌がいいと機嫌がいい。
某所にアップロードした原稿に張り付かないで欲しいのだが思わずカッシーナを持ち上げてしまう。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/education/?id=6113201

名誉教授がtwitterでブログ真似るとか、書いた原稿取り込むとかも
全部調べ上げて欲しいと思う。しかも60代だと完全に病気であり、
何か娘さんもきっついコンプレックスの塊となると、何でそんな
ものが仏文科の教授してたのか全く意味不明なのである。
盗用の件と脳科学の悪用の方が、なまじポピュリスムに訴えかけてる分問題が大きい。
その他にも老人はねちねち語尾を真似たり、よく分からないのは
親族恥ずかしくないのかなというところ。キモ過ぎるのだが。
リアルに、あと五年で70よね?と思う。何でこんなのが20代半ばから呪ってて、ブログのタイトルだの日頃の生活だのを真似て換金し、それらに性的な慰労を供出しないと上がりになれないような手前勝手なシステムを作ってるのか。完璧おかしい。
コピーライターもそうだがやっぱりお爺さんだし、若者の当たり障りなく楽しく過ごしたい気持ちと全然あい容れない。
吉本隆明を読んだりしてる時、この釈然としない感じはそんなになく、結局単独で考えてた人と単に80年代の二番煎じだった人とで
違いがあるのだ。こういう変な老人が居直ってる事も、演技性人格障害が上位化される理由の一つに思えるのだが。

アンドレイ・ベールイ地味に好きである。あとマクシーモフとか
何で読んでたのか分からないが、90年代後半の孤絶がしっかり
孤絶として在った状況下でもう一度色々と読みたい。

仕事の原稿を書きつつ、統合失調症のこのニュースを知り
http://mw.nikkei.com/tb/#!/article/DGXNASDG0901D_Z00C14A4CR0000/
完璧暗殺ルートひけるじゃんと思ってしまう。心療内科恐ろしい。
絶対にかかってはいけない。
シルトの岸辺にしろシュタージ絡みのドイツ文学にしろそうなのだが、日本文学も諜報とか何かのオペレーションがあるのなら、十把一絡に個人の問題にせず、どんどん情報開示すべきよと思う。

自分の何が暗殺に値するか考えた時、善良さと寵愛を退けたとか
そういう話かと思うのだが、別に路上でカップ焼きそば奢るとか
そんなデートでもあんまり文句言わない性格の筈よという気がする。暗殺よりはましなのでメモしておきたい。

字面で沐浴というのが好きだが、このさんずいに木はこの字でしか
使わないなと思う。涼し気でいい字。

twitterをする気が全くなく、使い勝手でハイパーカードとかなり似てるはてなダイアリーが自分にとっては一番それらしいが、企画の盗用にしても訳のわかんない事で絡まれるのも、まず居直り老人とかあからさまな詐欺師がそれを始めたので、いつまでも自分が抑圧され続けてるとなると世話ないわよねという気がする。
科学者が自己表現したくなっちゃった時の論説の妙さという意味では、脳科学一番おかしいし実際個々人の心象とか記憶の抑圧にもかかってくるので、もっと攻撃されても良いように思うし、そういうものと微妙に足並み揃えてる美学も完全におかしい。というかはっきり、不細工だったり女性だと整形中毒だったりするものが生き延びられる仕組みに不審を感じる。そういうものから妨害される意味が全く分からないし、ほんと気持ち悪すぎる気がする。