とりあえず

ピンクや黄色の壁とカッシーナに対立しなければそれでいいなという気に。詐話も真実も誰にも監視されない自由な部屋と、充分寛いだ精神状態の中にありますように。詐欺行為や盗用のお金は理由なく貧窮した人間のところに二倍になって戻りますように。

と、いうより、何故こうもあからさまな越権行為が幅をきかせるのだろうなと思う。貧窮以前にほぼ右から左にパクっている人間に世間が寛容である事の異常というか、角田美代子と殆ど変わらないパーソナリティ障害のおばさん〈としてのおじさん〉が表出に勤しむという機構。その機構から単に生産的な事柄にまともに権限を還元出来れば、その方がメリハリのある世の中になる気がする。

苔桃はいたみやすいので売っておらず保存食であるという事実。
「表徴の帝国」で訥々とパチンコについて書いているバルトの感覚からすると悲しむべきことだが、自分は交換されうる女という景品で、執拗にパチンコ資本の女衒で前貼りのように雑貨屋している老人から目をつけられ監視されていた。そこでそもそもそういう品評があることの下世話さより、女衒の品定めに対する交換価値のコンペティションの方が優先されるのは気分悪い。下衆過ぎるという気がする。

カッシーナにも仕事ください とか、インテリア関連のエディタしますので仕事ください、とか一応書いてみる。若者が老人に過度のストレスを掛けられず、穏当に思索しながら仕事してれば家具買える世界の方が当たり前に思えるのだが、数匹の成金は持ち出ししてるに過ぎず、はっきり下らない存在だという気に。

デザイナーさんという仕事の、素材を的確に充てる技術にとても
インスパイアされて、嬉しいので久しぶりにベンヤミンへのオマージュで書いていたノートのようなものをまた書こう、解放しようという気分になる。中間での搾取と、都度悪どい媒介が作用すると完璧に擦り切れてしまう実感が、パサージュ論と自分の間には減衰せずにかかっていた。
で、私はボビンが好きであり、単なる工業製品だけど横から見るといろんな切れ端が絡まっているとこ、カラフルなとこに惹かれる。でも水平釜の取り扱いも苦労しないと思い出せないが、ファブリックの地にボビンの柄を使っているメーカーさんがあり私は苦境について酷い言いがかりをつけたのに、それがとても可愛いので辛さが取れ、泣き止んだ感がある。
いつも一方的に盗用し封殺しにかかる数匹とは全然違うタイプの疎通であり、私は勝手にコラボレーションした事にしておく気がある(迷惑掛かるとやなので言わないが。というかとても可愛いんでいろんな年代の人に似合いそう)。本当に心理的な監禁並に封殺される事と、発想しても具現化出来ない事が外化するのと違いを茂や老人は考えろと思う。

ヴィヴィアン・タムのコウモリ柄スカートというのが好きだったのだがファブリックデザインほんと面白い。