SF

派閥色々あるのねと思う。自分の内面だけを信じている。

浄閑寺はそれこそ90年代前半に荒俣宏先生の本で読んで、さすがに何か拾ったらやだなと思い参拝できてない。
80年代や90年代の著名人で、結局本の蒐集する人と小説かける
人以外外して、コピーライターとかエッセイストは同じような事
しか言えないのなら市場化させないようにすればいいのじゃないか
というような事を思う。というかそういう人たちに比べて老人コピーライターとかが前宣伝でやたらと本を出しているのに納得できないのである。小説自前でかける人にコピーも書いてもらえばいいのだし、エッセイはものつくりする人が書くのが一番いい気がするのだが。

そして浄閑寺ウィキペディアを読んで、ほぼ女衒用語をそのまま踏襲してる社会性って何なのと思う。キモいから雑貨とか食品に
一切触るなという気持ちに。

ちょっと前に念願叶ってスンガリーに行く。そういえばボルシチ
隠語体系やほのめかしの仲間に入ってない。何でだろう

ピロシキも語感がおっちょこちょいな感じで性的喚起力に
乏しいからほのめかしの仲間ではないのか…
でもコーヒーやラーメンやカレーも無理に隠語の方に連れてかれた感がある。寿司に至ってはネタの数だけ惑乱があるようだ
しゃぶしゃぶやマッシュルームオムレツは隠語としてでなく食べた
人は屈託無く語れるが、隠語の暗闇も抱えているのだろう
みんな女衒の隠語体系に縛られず、食べたいものを食べようぞ
というかリベラリスム以前の問題ぞなもし
左翼が本当に食べているのは何か 段々不安になってきた。

スンガリーいつも混んでいるが、とても美味しく落ち着いて食べられた。

この白いビーフストロガノフ美味しい。昔自宅で粒
マスタード入れて薄切り肉で作った時も美味しかったが、
これはクリームがもっと本格的で玉ねぎが美味しかった。