谷川民俗学

について、また色々と思うこともありながら、かたちの中に
閉じ込められている魂とその外側に構成されている魂との二重性、
みたいな事を思う。色々と不思議な事と考えあわせ。

製鉄もそうなのだろうがアラハバキhttp://ja.wikipedia.org/wiki/アラハバキについての信心というのが、リアリティを感じるなという気持ちになる。
最初から全部理解しようと思うとそれではいけない

谷川民俗学と中井にはまっていても、疎かにならなければだいじょぶという気がし、やはりカルトがおかしいとだろうという気がする。

神奈川にもアラハバキ社はあるようだが、なんかちょっと怖い
自分の誰にもとめられない、民俗学者になりたさみたいなものは
心的構造と癒着している部分がある。その割に落ち着いて読めてない(しかし「白鳥伝説」を読み返さないと)

気持ち悪くて今殆ど読めなくなってしまったが、90年代なかばは
SPA!とか読めてたのでサブカル的保守性とかには見覚えがある。
そして改めて「澁澤龍彦の時代」が自分の澁澤龍彦についての感覚を殆ど決めてしまった事に気づき、大体初めて買った批評の本だった。態度としては一切ネット上のリアルタイムなSNSで言説を解放しないという浅羽通明さんに共感出来る。なんだか色々わかってきた。
つまり「Twitterに移行」したり他のSNSで自明に生きてる人をフリークアウトさせてる時点でアナクロではないが、かと言って技術的先鋭性を生きてる感じもしない。恐らく技術的先鋭性を生きる権利を持つ平成生まれとかに資金提供もせず、新興宗教の裏金に手を付けながらひたすら80年代と同じ論調文章を市場にばら撒きたい。最低そういう50代60代だけでも排除出来ないかと思う。

みんぱく展に大変な満足を感じる。関東にも是非造ってほしい。
こういうものをコレクションしていたブルトンを今更ながら凄いと思い、澁澤とは確かに違う感覚の人という気に。
しっくりこなかった国立新美術館の建物が気持ちのいいコントラストで見えた。

「ザ・ベスト・オブ・コニー・ウィリス 混沌ホテル」を
購入。「ほんとは量子力学について議論なんかしてないんじゃないのお前」と考えてしまう気持ちを満たしてくれそうで嬉しい…
開いてすぐのとこに「公共図書館に」とある。

これも抵抗かも知れないが直径が80センチある大きいナザールボンジュウを買ってくれる人と結婚するとしたら何人位申し込むだろと
思う。

カルトやそのシンパのおじさん、女衒のいいなりで結婚したくない(大真面目に)

この国の人権が自分の目の前で終わった感がある。

そんな事もなく仕事頑張ろう

倉阪鬼一郎全部読みとかしたい…脳や内面と外界の浸透フェーズが、自分が90年代に思っていたものからここまで逸脱していなければそうしていた気がする。

それにしてもある時期からのベストセラーの胡散臭さがすごい。