人権を

切符で配給していて、目の前で支給を打ち切られるという表現主義とかロシア文学の風刺みたいな画像を思い浮かべた。しかし快晴で暑い。上機嫌で仕事の支度をする。

東京都新美術館のミュージアムショップは素敵で、ミナペルホネンさんのコーナーには可愛い女性が沢山集まっていた。
マスキングテープを購入し、情報環境の向上の為に結界を張る。


今、ビル・アトキンソンが来日したら講演見に行きたいだろうなと思う。10年前に来日した時にはそもそも余裕がないのと、ハイパーカード自体の重要性に思い至らなかったが、iPad使っていると確実にハイパーカードとの連続性を意識せざるを得ない。その頃出来なかった事を全部咀嚼してみたいが人身売買のネタとして動かされる事の方がプライオリティが高かったというのにゾクゾクする。
60代の、まずインターネットについてのイメージが狂っていすぎの気がするのだが。

六本木を歩きつつ同性の覗き人として許容すべきでないという感覚を保ちながら、美術展とかみようという気になる。実態のある人間だと土俗の変な邪霊とかより気持ち悪い。
品川のPAPERWALLから完璧に老人コピーライター関連商品が消える。行きがかり上私が書いているにしても嫌われ者なのだという気がする。はっきり老人コピーライターや80年代不要の消費の景色が広がっており、それが2014年という事だと実感。

隠語も含めて生活産業から撤退して欲しい。
多分早晩そうなるというか、80年代やはり理解不能で感覚的に
許容できにくい気がする。
サミュエル・バトラーの「エレホン」は全面何事か仄めかしているようでいて何も仄めかしておらず、よい文学の条件かも知れず、第一ドゥルーズを通じてしか知らない同時代人じゃない人なんだなと思う。