進歩史観

何がどれほど進歩しようが、そのことそのものに対する懐疑がない事に不快、というより不合理さを感じる(やはりベンヤミンに対する思いいれから)。
進歩史観のどこから何処までが見せかけ、あるいは精神史上の賑やかしでしかないものなのか、偶然と心的綜合と外界の対応みたいな事が起きてる層と分かたれるのか、というのはベンヤミンユングに照らして読む時に考える事(ベンヤミンユングの外構に夢の建築や都市や遊歩を置いており、それは本当にある類型に基づいた肌理の細かい思考の外郭という気がする)。
だからベンヤミンだけを読みたい。それは土星的(メランコリックであるという意味で)ではあるが、やっぱり悲願だった。結局一冊と半分ノートを満たしても何だかよく分からなかったという気がする。

性愛がらみで「重い」と言われるのと「重くていい」と言われるのとで、両方30万ずつ欲しいし前者についてはお前と寝るつもりはないの一言で却下したいケースも多いため、言いがかりである。

そういう事絡みで強いられた感情労働の対価を厳密に計算すると、現況で40億位欲しい。これが最初からパーソナリティを可視化する無駄な努力がなければ、多分年収350万とかその程度で充分納得出来た。

問題はこういう手口で人何人も死んだし、精神病院に入れられた人も居るだろうという点、もう少し人命を重くみていい。

やはり「ベンヤミンの現在」を買わないといけないなと思うのと、
某社の不動産事業にやっぱり関心があるので、エロス抜きで仲直り
したい。茂。
業界人風にいうと昔池波正太郎が天ぷら蕎麦の台抜きというのを注文する話を読んで驚愕したのだが、男女関係のエロス抜きである。渋い。そして某社の未来のために わー

クリスマスとイースターペンテコステ位教会来ようと思う。
全然キリスト教じゃないけどやはり信条告白を自前で書いた
という意味で自分からある構成が抜けない。それと比べて
あんまり肌理が細かくない体系があり、やっぱりカルトなんだと
思う。その違和感。分析したい。
詩篇90篇と使徒行伝を読む。古いしっかりとしたフレーム模様のある内装。木の簡素な十字架。赤い花が活けられていた。

しかし今年は何でbigbeachもハシエンダも無かったのだろう、と思いつつ、basement jaxxの来日でそれだけ公演あったら行きたいという気がする。

「老人コピーライター うざい」で検索がある。
こいつは政治家の接待要員を派遣社員から引き抜いていた先般
の事件の60代男性とほぼ同じ事を、クリエイターという名前で
してるだけなので、消費者として関わっては絶対にいけないと思う。仕事して貰ったお金で欲しいものを買おうとしたら、ただの消費者なのに気に入られて勝手に絡まれる、みたいな目に遭いかねないし(私は一度もこの老人コピーの商品を買わないけど)、復興支援を盗用でするというセンスはやっぱりかなりまともな日本的感覚とずれていると思う。警察には重々、65歳の覗き老人に過ぎないのだからさっさと調べ上げて欲しいと伝えてあるし、うざいだけじゃなく明確に目つきのおかしい犯罪者なので、特に20代30代でうざいとか嫌いで検索している人は、親世代や知人友人に不買を勧めて欲しい。
老人が女性の活用について貧しい想像力を駆使するとこういう事になるのか、、という点、もっと毛嫌いされてていいというかこんなものを肯定しているのは80年代に現役だったおじさんおばさん達ばかりであり、うざいだけでなく若者にとっては関わるだけで腐るタイプの猿なのである。はっきり自分の妻と同い年位のおばさんにたかればいいだけじゃない?と思う。
感情とか嗜好に対する不気味な一元管理に対する欲求みたいなものが、あるタイプの人にとって殆ど漫画みたいなのは何故と思う。

「シルトの岸辺」。小説の小説らしさに飢えている。
重層化された出来事が書き込まれている感じ。

医療不正本当になにをやってるのかしらねと思う(本当に心臓に
問題を抱えてしまった方のお話も聴いた)。
この状態でデータ提供の際などにいきなりそれまでの来歴の底が抜けて健康体なのに病気扱いとか、絶対に許せず、「その筋」が他人を病人扱いする時の言い方も何となく覚えた(おそらくそっちに集中的に向精神薬中毒者とかがいるのだと思うが)
というより、「根本敬 鷹番小学校」で検索すると特殊な話が出てくるが、女子大とかにこのタイプが居て女衒を兼ねたりした場合外聞が悪いのじゃないかと思ってしまう。