ハクスリー

「素晴らしき新世界」と知覚の扉を読み返したい。

ケストラーもそうだが、薬理なり何らかの物質による統制を意識に加えた上で、支配的な一者が統制を加えた意識を物質として管理すればいいという解法は破綻を招くし、多分あんまり日本的な宗教イメージにそぐわない(旧約聖書を通読していないので読んでから言わないとダメだと思うが、それこそユダヤ教的な気がする)。
そういうシステムをつくり出した本人がそれを是として受け取っているうちは、その破綻の潜在的な力を意識しにくいかも知れないが、ともかく自然現象の一部としての人間の意識をホールドしてしまう時点で、何となくダメな話である。というかその経路を強化すると、ありふれたディストピア小説みたいな話になってしまう。

が、何かのはずみでそういった統制的構造を持った新興宗教と、それに依拠して大風呂敷を広げる生化学的フェーズが不必要に(個々人の意識に代わり)市場を広げた時節が到来し、それがざっくり2000年以降くらいだったという事なのかと思う。
http://bilininfojp.blogspot.jp/2013/08/blog-post_9.html
こういうのを読むと米国式が何だとか、それを函数化して反復
するのに仏教系カルトがエージェントとして使われてるみたいな
話の下らなさしか感じない(1950年代は60年前なんだなと思う)。が、別に陰謀でなく本当にこういう話があったのだと思い、それを今個々人が受け入れる必要はないと感じる。

当たり前かも知れないがごく普通に生活している事が一番、統制的構造に疑問を持ちやすい。

それに対して統制的構造に統制的構造の外部を指し示して威嚇したり、一つの資質を取り合ったり投資する必要のある領域が、一番汚染されやすい、そこに自分の身体をとりたてておく必要を感じないという事。

初めて仕事をもらえそうな気配がある 茂〜♪