思弁と非順応主義

内心それを貫きたいと思うモード。仮に洗脳で思考を
奪取出来るという都市伝説が本当であっても、それは
変わらず、生命的なものと反対の方向に思弁の中で
歩いて行くこと、と幾何的な構成。菱形の赤い、縁の
しっかりとした幾何的そのものといった図形の感触、
と結ばれる意識野。

作成した文書を再納品する必要があり手直し段階で、駒場周辺からうだうだTwitterに書き込みしないで欲しいと思っており、なんか私のプライバシーほんとにどうなってるんだと思う。(特にロージナ茶会さんという方、いい方そうだが、、)

根本で非順応主義的なものに惹かれるからこそのベンヤミンであった。
中井をweb上で読めるので納得感はある。

非順応主義についても、もっと掘り下げて読みたかったなという事を。

セールにエミリー・ディキンソンの名前を付けた匂いつきのロウソクがかかっていたので買ってしまう。

本当のところ一歩もひとまえに出ず詩を書き続けていたとか、無為と非順応を貫いて形而上(死語というより化石のように可愛い言葉)に生きたとか、そういう人生には意義を見出す。

老人と老人コピーライターがあまり更新せず不活性になって、
つくづくこいつらも80年代も何なのよという気になる。何で30年間同じ精神的フォーメーションを保とうとしたのか、それで市場を広げパクリを繰り返しながら他人を抑圧しようとしたのか全く意味不明だし、パチンコ屋の代表取締役というのを所謂エイリアンよりよっぽどエイリアンのように感じる。

管理売春組織の偉い人に転がし甲斐のある人材として見出される、それが言いがかりに過ぎず人身売買の前哨なので、基本的にはしちゃいけない事である、というのを、5、60代で性愛の相手を調達出来るか戦々恐々としてる薄汚いおじさんおばさんに理解させるのは困難を極める。凄くネガティヴな形の色惚け老人を不良在庫のように抱えてるんだなと思う。
そういうのの筆頭格が老人コピーのように感じられ、そういう人から雑貨や食べ物をまず買わないでしょという気がする。晩節を完璧に汚したい。

ガラスの植木鉢とテラコッタの植木鉢、及びその中にある胚とその後の姿。