サンショの

植え木何処かで売ってるかなと思うが、それらしいものが見つからない。

数カ所良さそうな鰻屋を発見し、値段的にもけして高くないので嬉しい。昨年の鰻茶漬けも美味しかった。
茂が(この呼び方定着させたいのだが無理っぽい)ちょっと前に「うな牛ってあるのか!」と書いていたのだがカロリー高そうと思うのと、究極的にはみんな食事くらい好きなように食べればいいように思い、事情がよく理解出来ないのだが。何食べてるかわかんなくなりませんかと思う。

この季節になるとユダヤ教徒では無さを思う。

まず松岡さんから仕事を貰う事を来月の目標とし、Twitterを全く介せず動的でないSNSで間欠的に切り貼りするという形式を取る。何処にコミュニケーションの故障や滞りがあるのか、それで何らか成り立つのか知りたいのである。

まぁ桜桃でも


駒場はどうなるんだろ
流石にまともな建築クラスタの人が数名呆れ果ててる気がするのだが。。
バシュラールはほんとうにまともだったんだなという気がする。
あとはこれも検証を要するが、整形を頻繁に繰り返しても気持ちの悪い女性の整形代金を肩代わりするのは理不尽だし、何か何でこの状態で自殺せず生きてるんだろうというタイプの変な人が、この世には居るなという事を思った。

かなり以前の仕事場に、宮脇檀の住宅設計ノートを置いてきた。
再購入しようと思うにせよまだ後ででよい気もする。

残念でダメなオヤジとして圧力をかけ続けている癖に契約が全く遂行出来ないのもそうなのだが、まともな企業に就業していた時の
妨害分の慰謝料を請求したら、やっぱり億貰わないと帳尻が合わない気がする。それが出来ないならせめて何らかの形でポストなり何なり貰わないと話にならないのだが、表象文化論科をこうも気持ちの悪い学律にしているものって何なのか。

「足」と呼ばれてるその筋から仕入れた買春ネタは登用出来ず(足は「ティッシュペーパー」という汚い呼称もあった)、
なおかつあっと言う間に要らない人扱いされた年配女性はいかがわしい人だったのかと思う。
駒場自体は一貫してベンヤミンバシュラールを読んでる私に
ねちねち間接的に言及するわ仕事は邪魔するわ、、で、何だか根底のところで(モダンとかポストモダンとか関係なく)まともな
研究者はやってられないと考えるのじゃないかと思う。
大月隆寛さんのTwitterとか発見し、90年代に都市伝説の本
愛読してました〜と思うのだが、何か色々な状況がそっくりそのまま繰り返されてますよね、と伺いたいように感じるのだが。。あとは老人コピーのような80年代の業界人から負の遺産を絞るしかなくなっているという事なのだろうか)

個々の属性を隠語的に解体して並べ立てて、それが寸劇のように展開されているだけで、もの書く時に必要そうな内的なプロセスとか独自見解が全く見えないのが不気味な感じ。

そして抑圧と外傷性の作用、カルトの統制被害を一方的に受けているのなら、それをちゃんと読み解いて同じような目に遭っている人が心理的負担を感じないようにするのには、そこそこ意義がある気がする。本当だったら市場形成できないと意味がないのだが。
というか、リベラリスムにとって墓場のような風土でも普通に
生きてる以上わけわかんない隠語の羅列になってなく、それで
凌ごうとしてる浅ましさがやばい。(あと何か汚いのだが、、)

クーデルカの「素晴らしい」写真を論じたい。

医療不正やヤクザがほんとに絡んでたら、笑い事じゃ済まない
というか気持ち悪いので告発しないとなと思う。その筋の人とか
ダメじゃないのと思うのだが、、