詩と多神教

原則毎日考えよ。

コティの化粧品のコンパクト、あの柄何か。

分裂病統合失調症)の病跡学的意味合いと別に、
物質としての精神の分割可能性の問題がある。
それを緩やかな(予め寛解したかのような)感覚に
繋いでおくのは別にドゥルーズであり得ない事でない
ように思うのだが、外在や電子部品は、
常に解体と器官情動への働きかけを強いる。

プラトニスムや神学的に緩やかに上昇するイメージはいいが
遅滞の相はよくない。
気球で宇宙旅行が実験的に可能になったという記事を読み、
そんなものなのではないかという事を。
http://sankei.jp.msn.com/wired/news/140627/wir14062712280001-n2.htm

スライダーやローラーコースターがそうだが具現を思う時に
一部分がサッと瞬間的に何かをもたらす(エピファニーみたいに)

出先で見たマーシャルのアンプが存在論的な部分できれいで、
筆記体のロゴもよく、思わず見とれる。

駒場建築クラスタの方、あんまりなつけないのですが路上観察
とかもします。

松岡さんと嗜好品がかぶった。

お仕事くれるといいなと思うと同時に、コミュニケーションが
成立したり成立しない幅の事を考えており、わたし成城石井
去就が気になり公園のようなところで買い物した物を食べている
時に、誰にも監視されず誰とも通じ合わないことを重要視している
という意味では、とても対自的である。
でも仕事欲しい。

それぞれの実存を賭けて、ものの言えない世界にしてくのはとても
下らない。

リクナビからオープンオファーの来ていた、何故か宇宙開発関連の企業の仕事が書類先行落ちになってしまいちょっと落胆する。
しかしホールドされなければ転職ルールとか全く勝手が変わっているんだなと実感。
その中で大手の建築会社に面接して、理論年収聞いてホッとして、筆記試験受けて、面接受かって、さあ仕事という体制なのにプライバシーをホールドされてきたのは、相手が東大だろうと(むしろ東大だから)全然偉くも賢くもなかった事をちゃんと認識して欲しいと思う。
老人コピーもそうなのだが今80年代じゃないのはやっぱり理由があって80年代でないのだという気がする。

エドアール・デュジャルダン今再読したら面白いかなと思う。


流石にこれはしょげる。
そして英語だが、そもそも何か読みたいというところから
封殺されるモードが一体何に由来してたのか検証しないといけない。

悔しいのは、パスカルキニャールが好きなのだが自分では
読めない。

デュジャルダン再発になってるのだなと思う。