あんまり

即座にデータ化されない内面的な資質が単に生体に無理のない形であって、それがユラっと在るように現実感があり自然現象とも適度に呼応している、というのが理想的な気がする。
デュジャルダンやウィリアム・ジェームスみたいに地味な意識の流れの源流をつくった人の感覚の上に、ジョイスがあってラカンがそこからインスパイアされて、という事考えたりテキストを読むことに、何かどうでもいい外在性は関わっていない。

というかドゥルーズの内在性を、徹頭徹尾そういう事として考えていたのだが、陰謀論も含めて外在に依拠するというのはそういうことではないのかもという事をつらつらと。
そこで明らかに内面が分割された時、統合失調症とみなされずに
外部に表明して、同じような事柄で収監されてしまう人を減らすにはどうしたらいいのかと思う。

ナジャの新訳を自分なりにつくりたいという気持ちは持続的
なのだが、ブルトンやっぱり読んでる感じが素敵である。

〈詩心?〉
いく時代かがありまして
いく時代かがありました
〈説明〉
茶色い戦争の先駆症候として、
何か神経戦争のようなものに巻き込まれまして、、
気付くとブランコの上で所在なく
泣いている家の無い建築マインドが私です

毎日原稿のワーディングを少しずつ叱られる、、

代替医療ホリスティック医療の何が問題

内在性と夢の濃縮について考える。
何故かバラードについて考えてたら丹生谷
先生と被ったのだが、何か嬉しい。
SFを書くように生きよう
茂がおでかけから戻ったらお仕事だけ貰えるかなとしばし。

エーロ・サーリネンのコンセプトだけ沢山まとめて
よみたい。アメリカの北欧人なんかロマンティック

クラウドファンディングに至極まっとうなものを感じるが、
クラウドファンディング以前に老人コピー的なものを全部
追っ払わないとまともに考えごとも出来ない。汚ったない
年寄りが

ドゥルーズバイオハザード的な動機とかあったっけ、
そもそも哲学って生体解剖を良しとするっけみたいな事を
考える。

エーロ・サーリネン
買っちゃった