電子書籍の原稿

を、納品する必要があるのだが、その前からねちねちねちねち、、
駒場言語化能力が極端に低い人とか居るっぽい。先にさっさと契約遂行して欲しいと思う。
あと真似しつっこくても所詮発想力の失せた40男とかより、
出版社も私に直接頼んで欲しい。
某美術家については近隣をうろついたりする事なす事真似されたり
不快を感じるとで、警察にも通告しているし、美術業界だけでなく色んな方面から本当に相手にされてないんだろうと感じる。

去年のハシエンダで飲んだサザンコンフォートのショットグラスが思いのほか可愛かった。

職場で考え事しつつ幾つか。
ドゥルーズもそうなのだが、建築クラスタ、、 mélangez(流し目)

最近加わった意味不明なのは「さみしい」で、私はさみしくない為関わりを求める方が正当な処遇をするのが筋じゃない?と思う。繰り返しになるが売春婦でも人から相手にされない訳でもないのである。
50出たオヤジとかにこの「さみしい」言われた時の気持ちの悪さ汚さは大きく、見ると赤ちゃん返り寸前の大抵変な表情している。

宮脇檀の住宅設計ノートを購入するかしまいか悩んでいる。

自分の中で、比較的まともにコミュニケーションをとってる感覚が
ある人と冬彦の赤ちゃん返り系キャラがわかれて来ており、恐らくどの団体でも後者が女買ったり安い中年の性労働力に汚く生産性を下げている。大抵汚い表情のおっさんである。20代30代にはまず
おらず、何かを諦めた40代と識字障害の50代に多い。号泣した
議員も行動パターンを見てるとそういう人なんだろうなと思う。
プライバシーをホールドするのも冬彦なのだが、冬彦飛び越えて
うちでそれなりに仕事なりなんなり任せられるという場合、やっぱ
りメールが欲しいです。
冬彦なりに捨て場や風俗女の外部に目覚めた時が普通の女性にとっての迷惑タイム、という、気持ちの悪い事になっている理不尽感を
同世代の友人とかと笑いたい。ほんと30代以下に居ないので余計フリークスに見えるのである。

老人コピーが早速さみしいと書いてるが、構造的に分析すると
ブサイクや冬彦で比較的金を持ってるのは、やり手ババアと
商売女で周囲をかためている。というか徐々に外堀を埋められて
カモられてるのである。そこに性労働力としてして登録してない女性が登場。不細工はともかく冬彦は、やり手ー商売女間の即物的
な男女関係の外部に(言語化出来ないのだが)普通の男女の愛情関係とかをほんのり思い描いてるし社会的に一人前とみなされるには
何処かでやり手ー商売トラップを抜けないといけないと思っているので、つい普通の女性にコミュニケーションを求めてしまう。
しかし問題はその時、冬彦が冬彦である所以というか普通の女性
とコレクタブルなやり手ー商売女トラップの間で葛藤し出し、色々と訳の分からない行動を取るのだと思う。そして、普通の女性が下品さに
引いてると何故か「さみしい」と言ってしまうのである。
…書いてて戦慄せざるを得ないのだが、そういうトラップを
与えられてる猿とかカモからさみしいと言われた時なんて言えば
いいのだろうなと思う。単に気持ち悪いのもあるのだが、「やり手
ババアが作ったネバーランドとか地上の楽園に帰れ」と言ったら
さみしさを覚えてる事も含めた自分の気持ち悪さに気づくのだろうか。

水商売適性が無いのであれなのだが、世間的にさみしいおっさんの
相手ってかなり金銭的に上積み出来る筈であり、しかしそういう
仕事に従事したくないんで建築とか文書作成してきたというところ
を、駒場や恐らくその周辺と癒着してる老人コピーが全く
理解していないところに戦慄した。さみしがった時点で契約書と
賃金の約束が何故出来ないんだろうとゾッとする。
おっさんがさみしがるという時点で、その感情は普通の女性に
とって地位かお金と交換しないとあっても仕方なく、なおかつ
さみしいおっさんの相手をしたという痕跡を消去しながら上手いことお金を入手しないと仕方ない(自分がおばさんでさみしいとか、買春系おばさん、割り勘要員おばさんの
場合は別かも知れないが)。しかしさみしいおじさんは概して女性
憎悪のきついおじさんでもあるので、さみしさに応えようと応えまいと筋違いに絡むかも知れない。
そう考えるとさみしいおじさんは東京や横浜みたいな首都圏の生活
に向いてなさそうなので、はっきり地方にコミューンみたいなものを作って住めばいいのにと思う。

人種憎悪は絶対にいけないことだが、老人コピーのような精神構造
でさみしくないのは北朝鮮のような独裁国家であり、だから下らない情報操作ばかりするんじゃないと思う。しかし普通の日本人が気持ち悪がるのも仕方ないわねと思う。

考えてみればやり手ー商売女トラップで供給されるのは整形とかちんちくりんとかフリークスとか過剰な技巧系ばっかりな訳であり、
その外部に居る女性に対してさみしさを喚起されるというのは外部に侘び寂びというか情感と本然と哀憐が温存されてるからなので、
そこでそのトラップの中に居ないからといって女性憎悪の的になる
のも理不尽な話だよねと思う。何か日本思想の展開になってしまい
そうだが。

一応、レスリー・フィードラーの「フリークス」をもとに
やり手ーちんちくりんクラスタについても分析出来るが
自分はその周辺でさみしがられながら日本思想を論じたい
のだが、引き続き普通にお仕事ともし与えて頂けるなら研究環境が
欲しいです。

仕事はいかようなものでも、やり手ーちんちくりんクラスタと無関係に行います。
そしてあたしに嫌われるとさみしいのですって。(寺山修司風)

引き続き茂にお仕事の相談だが、私今まで恐れ多くて書かなかった
けど内装提案者としては白洲正子さんのファンである。。
しかし電化部門を活かしても普通の物件と違う提案が出来ると
思うため、双方のプランニングを任せてもらいたいと思う事
しきり。

松岡さんがアニメのシナリオライターを募集している…ので
応募してみようか、と思う。
…収入確保と後学の為にギャルゲの台本を書く仕事を受けようとしたところ(私自身は全くギャルゲも乙女ゲームというのもした事
がないのだが)数名がTwitter上で文句言うというアクシデントが
発生した。ゲーム自体しない為結果的に適性は分からなかったのだが、精神分析をテーマにした台本のネーミングと書き出しはあとで
参照したらディケンズを踏まえてたので、なんか自分は徹頭徹尾
そういう事を構築的に書きたいのだなと思うのである。
これは恐らく物件提案の時も同じ。

しかしそれではゲームでなく純文学なのではないかという疑念は
残る。

松岡さんたまにあんまり下衆なものに批判的な事があり大変っス
ねと思う(何が)

冬彦も無理なのだが、テレビを見ないけど楽しんごという人
が怖い。なんかフリークアウトの仕方があれとあんまり変わり
ない感じにぞわっとくるのだろうと思う。老人コピーライター
もなんかおんなじような気持ち悪さがある。
(ニアミス冬彦は完璧な識字障害で、メールに人の表情を全部
書いててカオスだった)

ハシエンダというかhappyの冒頭は24hours party peopleのオマージュな訳である。この映画劇場公開の時見たのだが、ちゃんと流行ってるのと連続性あるので本家で毎年やってるとしたら日本にも毎年
くることを切望する。そしてそういう連続性の方が2000年から
こちらは当たり前に思えるのに、何で93年くらいで止まるのよと
思う。

オーソドックスに「幸福感」を巡るアニメのシナリオを二つ
くらい思いついた。一つは子供向けだが酒精とまばたきが出てくる。一つは手の上のマーブルと家来のない領土がテーマ。
しかし詩(というか詩とデザインの中間物)みたいなものについて
は一日に10こずつ考えていた事があるが、童話を書くのもかなり久しぶり。

常民に要らん民俗学上の幸福でなさを見ようとする症候群をぱんぴーたん症候群と名付けようとしたが病理滲むと痒いのでやめた

普段全くTwitterを使わないが、早速原稿用紙2枚ほどのプロットが書けたので恐らく初めて松岡さんの当該記事にツイートしてみる。
これでコミュニケーションが成立しなかったとしたら、ものすごい
卑小な事で言語統制下にあるのかという気がするのと、老人コピーが業界内でどれだけ偉いのか分からないが、結局婉曲に私のしてる
事に意味を見出したいのだろうから(女として刈り取る気満々
なのをお断りしているとはいえ)、一度クリエイターとして
文書作成出来るか試みたいと思うのだった。

死ぬほどおぞましい(死ぬわけないけど)言論統制引く国に生きてないとはいえ、民度故障したところから薄汚い悪意が広がるという事があるのだろうな、と思う。カフカの小説みたいな気持ちの悪さ。
仕事の準備しつつ靴を磨くが、横浜市内は特に老人コピー的なものに毒された人少ない筈よねという気がする。
ぱんぴーたんはともかく常民なのである。そして谷川民俗学徒である(快活に宣言)