寂しさというよりは

生きてて不足を感じたのは2007年にウィーンの病理学博物館に行く時の1人さで、海外旅行までは全く寂しさを感じないもののもう少し具体的なFIXの仕方がある気がした。仕事してるにも関わらず精神の自由がなく、オーストリアは広範に病んだ何かを持ってそうに見え、時間が充分に取れず見きれなかったそこはグロテスクでウィトゲンシュタインの家にはたどり着けなかった。
バックハウゼンのテキスタイル美術館は素晴らしかったが
記憶しておく事と精神的自由の取り扱いに懸念を感じ続けながら時間を過ごすとさみしい感覚がなくなる気がする。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140702-00050089-yom-soci
こういうので無難でなくも大切
奇矯でなく無難でなくしたら綺麗で、ユーゲントシュティールの
古い建物も素敵だった

建築クラスタ 勉強になりまする
関係ないが醤油よりぽん酢の味のさみしい感じ
好きな人っていると思う

ウィトゲンシュタインのお家に挫折した時、こういう人って沢山
あるのだろうなと思った

この時の旅行は大変楽しかったし物件への落とし込みの為に
こういう旅行を年6回程度するようになったら全身全霊で2ヶ国語
位はマスターしようと努力できる気がする。
ウィーンプラハ建物がとても美しかった。。インテリアショップが
みんな可愛かった。というのを茂仕事としてくれないのか、、

誰かmaison de santeの内装を頼んで欲しい。。

老人コピーと老人が完全に平板化したがこの人たちの壮絶に
下らない盗用と嫌がらせを全部検証したら、そのカルトがどれだけ
精神衛生管理に悪影響を与えてるかよくわかると思う。
それにしても絶対心療内科なんてかかってはいけないし
実際2003年頃からの医療不正ときれいにリンクしてるような
気がするんだけどどうすべきなのかしらねと思う。

茂またちょっとぱくってる

内装提案自分の内面と外在の間をたすきがけにしたり、
現抑圧が解除されたところにラカンを援用して斜線を
ひいたりせずにした方がうまくいく気がするのだが。
実際現地調査して、平明さにプラスαなのである。

ブックストア
框組の樫で出来たドアの枠内は数ミリ溝を残し、中に本の背表紙が
彫られていた。ドアノブの形は忘れる事が出来る程度誠実で、扉の開け閉めはしやすく重みも丁度良かった。
ところが開けるともう一枚ドアであり、白いベニヤに赤錆色の真鍮のノブ、半端なチェッカーガラスの上に金の文字で縦一列に書店名が画かれている。清潔な印象で高天井を思わせるが、ゆれのあるチェッカーガラスの桝目がドアの丈を程よく切りつめて見せてもいた。
開くと案の定、本屋は引き払ったあとで空間になにもなかった。
このブックストアの客は扉二枚で読み終えた気がして逃げてしまったのである。

やっとまともな発想が湧く感じがし、例えば上記をアニメなり図なりにする、という事に、それが出来れば楽しい、という感覚を覚える。

旅行時ムージルばかり読んでた気がする。