しかし

トトロは真ん中サイズが表情と風体のバランスが取れててちょこんとしていて好きな気がする。

白皙のインテリで大学講師という姉妹の父親に対して、老人コピーどこが??という気がし、別段配役と声優のルックスは一致しないだろうけどそうして余計な刷り込みばかりしようとして来た人生じゃないと思う。コピー要らない。物凄い悪相だし。詩や芸術に比べたら商品につくコピーに具体的かつ本当に起きている事の何が描写できるか分からない訳であり、個人個人それなりに過酷な体験もくぐる可能性がある詩や芸術を前面化してコピーなんか捨ててしまえばいいのである。
そうしないとダラダラ惰性で80年代的などうでもいい感覚が持ち上げられるだけだし、外注に一切費用払わずに盗用だけ熱心なクリエイター事務所ばかりになったら様々困るだろうという気がする。


「異常なコピー」に比べたら詩人や芸術家、単に生きてる生活者の方が何倍もまともでいくら癒着してようが警察が芸能ルールを解体するよう要請する権限がある。

2日位一生懸命人の書いてる事なぞってる老人コピーだが、
ハートが大事だの芸術が大事だの書くとしたら土下座して謝るべき人が居るんじゃないのと思う。大体猿や悪相の人間に健康被害をもたらされそうになるクリエイティビティとか意味がわからなすぎるし、それで薬害だの医療不正だの覚醒剤に理解の深い人間から先に権限移譲とか柄が悪すぎるわよねと思う。
顔面が整形で崩れた薬物中毒者の面倒を普通の人間がみる必要はないし、ブスブサイクの癖に自己喧伝が激しいのもそのカルト周辺の特徴という気がする。駒場で共有してたサブカル整形女もモロに
田代まさしか何かの繋がりだったので当然警察には身辺を調べるならそちらをどうにかすべきと伝えてあるが、それとの比較で私のして居る事に意味を見出す時に契約遂行出来ないのはやっぱり精神的に問題抱えすぎだからなのかしらねと思う。
私が居ないと無かった建築計画も含めて、バレる嘘を立て続けについてしかも目が点になる位気持ち悪く、なおかつ金銭だけ払わないという分かりやすいDV男群な訳である。不動産にしろ芸術や詩にしろ、その中でまともな女性に言及させて壊れた中年なんかさっさと排除した方が気持ちよく進む気がする。特に横浜市内だけはまともにクリアランスをとって欲しい。

そもそも10年位、表象文化論科は何で私がしようと思って取り掛かった事に食いついてきて勝手に企画化してるのという気がする。

宇宙開発で関心を持ち堀江貴文さんの本を読んでいたのだが、
(私はライブドアの話をそれどこじゃなかったので全く知らない)
私が関心持つと都度話だけ横領の姿勢を見せるのは何故と思う。

パノプティコンというか実質十年以上収監されてたのとかわりなく、しかしどうにかならないかしらねと思う。
幸いな事に日本語での構文能力は減衰してないけど詩は毎日
書かないと駄目と実感する。

不動産事業は多分1人位無根拠に身綺麗な人がいた方がいい気がするので、引き続き某社の不動産事業に期待したい。
というかそれこそある年代から上だと10代まで、音楽聴こうと思ったら確実に某社のプレーヤーが一番良かったのだし、今も電機メーカーの中では比較的デザインが悪くないと思う。
というか変な事無ければ茂より某社の事好きだったかもよという気がしており、カセットもCDもMDもやはりシェアが大きかった気がするのだが。

北海道のつぶらな子らはインテリアは論じないのか(というか建築クラスタはプランニングはないのか)

キネティックアート展やサントリー美術館チェコグラス展も
面白そうである。ステーションギャラリーの次回展の鈴木治展は
なんかちょっと渋い。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/140712/wec14071218000001-n1.htm
そんなものよねと思う。サーモブレンダー欲しいものな。

老人コピーライターや老人は小説を書けないと思うのだが、
結局それで文筆業をしてる事がそもそもおかしい気がする。
やはり本当は時間がとれて洗脳されているとかそういった
イレギュラーな事がない限り、250枚程度の小説は書けない
と何の意味もないように思うのだが。
それを考えると80年代の業界人で小説書く人と、全く書かない
人とでまず読む価値が違いすぎる気がする。