車内広告を

眺めつつ、陰謀論以前に陰謀はあるのだろうが(出来事
や事故のようなものは)陰謀論ではいつもエクリチュール
レベルの低いものが高いものを抑え込み、見せかけだけ勝ち上がろうとする、そういう事の理不尽さを思う。
エクリチュールレベル以前に全部盗品でしか無いものを自分の感覚のように喧伝する異様さなのだが、それを許している美術業界の
慣習慣例が(シミュレーションとかポストモダンとか関係なく)全く考えられず、ひたすらに気分悪い。

ハリウッド・バビロンのような芸能絡みのグロテスクな話は文学・芸術・科学のどれとも本質的には(という言葉がウィークポイントになる可能性もあるが)関係なく、老人コピーのようなもと全共闘は60年代に特に社会構造を変える革命は起こさず、その後読み替えられるようなテクストは残さず(吉本隆明寺山修司との大きな違い)80年代たまたま感覚が広告代理店経由で売り物になったがオカルトと憎悪犯罪への嗜癖新興宗教に吸収されてカルトのテロの下地を作り、結果95年にテロが起きて(オカルト含めた)80年代はクズだった、と言われるに至るのだが、そうしておおよそ20年前にはとうに枯渇してる人間をカルトと骨絡みのまま野放しにしているの
本当に気持ち悪い、と思う。
そのどの層が内在的に管理社会と結びつこうが、日常生活と自分の器官情動はクリアランスのとれた形でその管理と切れている必要がある。バシュラールをもう少し真面目に読んでおけばそのクリアランスがどう取れるか分かったような気がした。

しかし本当に更新頻度が減った。
聖骸布の仔」を読もうと思い読んでない。「シルトの岸辺」
読み切りたい。

内装提案を全部外注で受けるにしても定期的に出勤する場所
があると気分良い。

精神分析民俗学という二つの柱をもう少しどうにか。
しかしヒールを履く事が出来良かった。

まだ嫁にはいかないよ。
駒場今登用してくださってもいいよ

自分が見たいアニメは恐らくよくなつく人懐っこい、知能が高くよく踊る動物が出てくる(犬
猫以外)

あたり前田の野菜クラッカーにはまる

α into Ω 内装提案室はオーソドックスに健康管理も提案の一環に
含めたい。
ごく基本的な、衣食住の充実を基本にプランニングしプラスα
で音響とか家具とか、色々工夫しがいがある。

私は生きていて、市井でブルトンベンヤミンを研究しています
意識は脳や心臓より低いあたりを、還元されて漂っています