宇宙論と夢の領域

駒場元気を無くしたようだが、わたし中谷礼仁さん嫌いじゃないのでいきなり嫁にもらおうとしなければ中岡俊哉怪奇行みたいなのに
連れてってくれてもいいです(直球)
中岡俊哉については以前書いたが、そういう怪奇行と生体反応について、イデオロギー陰謀論としてじゃなく単に場の問題として捉えたいのが私なのである。
というか中岡俊哉怪奇行的なものは西欧の神学じゃ無いのでデコンストラクションの対象にならない。が、左派の韜晦とコントロールのネタとしては残留してしまう。これをどう取り扱うかって自分の中ですごく命題になっているのだが、場と丁寧に照合させる為に確保した筈の自分の私的領域が全然覚束ない。

宇宙論と夢について、純粋に思弁の領域で展開されるような事柄を。
お仕事のメールやり取りをしながら、以前行ったメーカーのショールームに再度行く時どうしようかと。
ビオトープある会社さんなのである。

アニメの為に題材を1、2個考える。

建築クラスターと一緒に裕福を目指したいです。

さぁ仕事だ感がある。さぁ仕事ださぁ仕事だ

美術は全部建築の人が論じればいいしアニメは作る人が論じれば
いい気がする。というか美術業界なんだよ感が凄まじい。

楽しくアゲアゲに生きたい。
EDM上げ>鬱

楽しく気持ちのあがる綺麗な不動産をプランニングしたい。
賃貸であろうと売買であろうと住みやすくなおかつ独自性が
あるような。やはり衣食住が一番大事という気がする。

α into Ω内装提案室という名前にした以上、これでプランニング
シートを作る。

「ナジャ わかる訳」もそうなのだが、ナジャのブルトンへの手紙を
読みかけてなんとなく自分の感覚で読み下せる感じが無い。仏語全部シラブルと音が組み合わさってもそれで風景が浮上するのに自分自身の立場が不審である。
ナジャの描いた絵(恋人たちの花とか二足歩行の猫がどっかに逃げてく絵とか)もそうなのだが、狂人の言うことは翻訳でも分かりにくい。でもまるで同世代人のように好きな気がする(演劇をしていた友人から貰った手紙の絵が、ナジャの絵なみに難解だったが元気に過ごしているだろうか)。

「猫の夢という絵は、逃げ出そうとして後脚で立った動物を描いているが、自分が一個の分銅で地面につながれ、一本の鋼、それはまた逆さまになったランプのとてつもなく太い芯でもあるのだが、によって上から吊られている事に気づいていないのだという。これはいまだによくわからないもので、心に浮かぶままを大急ぎで切り抜いたものである」(ナジャ)

…という事でブルトンもよく分からなかったらしいが確かに逃げようとしたところを呼び止められて繋がれた感じであり、若い女の描く変な絵ってっこういう感じという気がする。
心象風景を絵にする試みに比べたら図面作成や照明のプランニングの方がはるかにわかりやすく有用な筈で、それで社会に従属したいところをつど「呼び止められて」しまう場合、どうすべきなのか。
分断された業務契約に対し錄に働いたこともないような特殊老人をすごく気持ち悪く思う。

とにかく頑張って不動産事業部を盛り上げて行こう

扉のついているタイプの時計、サファイヤ加工にしたガラスの中に
いつの間にか別の時計が生えているが歯車は調達されていないという見取り。

老人コピーの更新が日に日に減る。北朝鮮そのものだなという気がする。どれだけ資産を形成してようが、その事だけを要因に消費者を脅動するか誘導するのを、猿レベルの感覚でしてるだけの仕事をコピーライターというのだろうかと思う。ほんとにわけわかんない。お前の事をクリエイターとして認識した事無いんだがとしか言えない。

老人コピーにしろ美術家にしろ、内在性を全部データとして取り扱える時代の到来と、管理社会がどうしょもないクリエイター(?)から露呈するのは気分悪い。
他人の独自性を幾ら私物化したとこで、そんなものまるで記憶から成される事柄に達して居ないのではないか。