自分にとって

ドゥルーズを読むのは、詩や小説による時空の分節の問題でもあって、それはドゥルーズがこだわった事柄にも思えるのだが、そういうものと別途生体が絡む科学にしろ情報学にしろ、やたら「いまーここ」を大幅に超越するような形式を押し付けるような論調が理解出来ない(フリーライダーに何が分かるの、という事なのだが)。うまく言えないのだが機械論的に他人をそれたらしめてる実存的な規定を変えたところで、情のもどりみたいなのがあって自己憐憫するしかないだろうと思う。
実存という言葉を使うと構造主義なりポスト構造主義とあいいれなさそうだが、単に人をそれたらしめてる記憶なり条件を全面放棄しろなどという事は、ドゥルーズもD&Gも書いてない気がする。
(し、福祉の人としてのガタリは、そのあたりとても誠実だったのではないだろうか)

フランスだって変なところがあり変な人も沢山居るだろうが、例えばラエリアン・ムーブメントみたいな変さというのは気づいたらすぐ検出出来るようになっており、奇矯なイメージとしても取るに足らないというか関わっても仕方ない気がする。
老人コピーライターの変さもそうで、大体教祖が寝て食って遊ぶ為に、勝手に想定されたその他の人間が略取される形式なんて新興宗教そのものでしょと思う。が、恐ろしいのはテレビしか見ないとかサブカルが情報摂取源とか、それが食い扶持だとこのおかしさ(中核にとんでもなくだらしなくて意味不明な、不細工な老人が居直ってるおかしさ)に気づかない事という気がする。

あとペットの扱いも微妙に気持ちが悪い。普通どうかしてないと
自分の飼い犬に足をのっけないと思うし、以前リードでぐるぐるに縛って桜の木の根元に転がしていた。これ組んで仕事してる支援団体の人、嫌じゃないの?と思う(大体盗癖のフェイントで犬猫支援
しているおっさんと組んでる時点でご本人も色々と後ろ暗いのだろうが)。何か虐待臭がする。というか普通に飼い犬というのはあんまりそういう事されていない。

以上の点を踏まえて、ペットというか犬や猫が好きな方もこの猿を
一切信用しないで欲しいし、家畜っぽさ特殊さという意味ではこいつの周辺に居るクリエイター(というかガロみたいな感じの社員)の方が重篤である。