両大戦下の思考と構成

セプティマス・ウォーレン・スミスはまさにその期間の負傷者であり、文学の専門家じゃないので分からないけどやはりその負傷形態に基づいた思考と抵抗、構成があったように思っている。そこでの抽象性と感情移入の経路にある種の思考のルーツを探りたいみたいな事を盛んに考えていた。ひとりぼっちだったがその時の孤独さに戻りたい。

のだが駒場もうどうすれば良いのというか、フィジカルなもの前提にしないとおこんないような転移と、薬理だの医療不正で研究生活を防衛してるのか唯に惰性で嫌がらせしたいのかあんまり理解出来ず困る。ふつーに気持ち悪いのだが。



アカポスはいらないけど単にベンヤミン読む為の場所が必要で、
それは読書会とかでなく単に自分の所属する場というか部屋とかなんだが、すごいプライベートな資質にまで転移されてなおかつ契約だけネグレクトする場合ほんと何考えてるかわかんないのである。
でも有用なものであれ無用なものであれ建物のある事の夢に浸っていた。

宇宙開発事業はお金がないと出来ず、お金が壮絶な略取のせいでまるでない。

「変容の象徴」のような分裂病の幻視的感覚も、現存在分析や実存主義的な狂気も薬理でどうにかなり心情の高ぶりに分析は必要ないので、芸術に病跡学不要である、というのが現況の中、世間の人は精神分析の本なんか全く読まないのに半年で統合失調症の診断受けた人が32人も薬で死んでるのに不気味さを感じる。それこそモノとか部品みたいな扱いの気がする。
一回まともに統計取って統合失調症と近似の症候群が作り出せる技術があるならさっさと内実を明示してしまった方が良く、それ抜きでうだうだ自分の思考を他人が市場化するに任せる意味はない、という気がする。


トマス・ジェファーソンエリクソンの「リープイヤー」を思い出してしまい、強迫的な政権のルールのせいで時間は零れ、パースペクティブが二重化されるという事は殆ど歴史的にある。

それにしても天気良い。仕事しつつ籠目の事など。
女衒女性で驚愕したのは、一度もそういうとこ(マットの上)が仕事場だった事がないにも関わらず、気分悪さを表明したら棘マット呼ばわりされた事だった。やはり下品なばばあという気がする。
それで薬物ずれしたおばさんや風俗上がりより私に働きかけたいのは分かるんだが、個人情報の流用と当て付けしか頭働かないのかも、と思うとかなりキモい。

しかしこの数年で、そのダメな気持ち悪さに共感してくれる人が多いのか世間の人当たりがとてもマイルドで嬉しい。

神奈川県やはり治安いいので、余計に中央集権的にたちの悪い
老人クリエイターとかが迷惑かけないようにしっかりして欲しいと思う。総毛立つ気持ち悪さ。2.30代に比べ5.60代の図々しさにもあきれ返るが。

りんご飴的なものを作って食べたら美味しいかなと思う。飴がけに
なってるの、あまり見ないが。
気にいってた無印良品南高梅べっこう飴がまだあるか分からない。そして南高梅の金額格差かなりある。

それにしても言うに事欠いて「棘マット」とか何だ何の隠語だババアと
なってしまう。

民俗学への関心からそういう話読んでもひたすら個人的な線引きの出来なさにうっとおしさを覚えて感情移入出来ない。
「歓楽通り」のストーリーをひたすら忘れ果てた事に気づく。

ブロッサム・ディアリーでも聴こうか、という気持ちになりつつ
柔らかみのある紫と乳白色のマーブル模様などは所有しない場合よい。

ボックスプリーツのスカートが欲しい。
それにしてもヒール履けるまで回復した為機嫌が良い。