糸井重里について

自分が楽になりたいという事もあるので、しっかり書いておく。 私は本当に糸井重里が嫌で嫌で仕方なくて、何でこいつに個人情報を濫用されなくちゃいけないのだろう、と思うのだ。私は元々、男でも女でも異様に幼児性が高かったり、元々の家庭環境の暗さを感じさせるタイプが嫌いだし、そういう事に引け目を感じないといけない生活が上手く想像出来ない(そこそこ以上に自分の親戚や家族を好きで、すごいお金持ちじゃないにしろ楽しく過ごしてきた事にも感謝しているし、自分も何かしてあげたいと思うから余計なんだろうけど)。
テレビをつけて樋口可南子が映っていると、ああ、綺麗だなぁ、とは思うのだけれど、一般の家の主婦をしている人にも綺麗で感じのいい人なんて沢山居るし、自分が男だったとして別段ここまでキラキラ(ギラギラ?)の妻が居なくてもいいなと思う。そういう人が芸能界で地位を確保するためにしなくちゃならないあれやこれやの事のプレッシャーに耐えられないから、すごい家庭的なネタとか幼児性にこだわっているんじゃないかなぁと思わせるところがあって、それが60の坂を降る人間のプレッシャーだとしたらキツいものがあると思う。で、以前から書いているのだけど、何か興行で持ち上げる若手の女の子(大抵適当なキャッチコピーみたいなものを付けられて、大きい企業のお偉方とか、メディアの中で急に稼いだ人とかの性接待に使われるのだろうし、そういう人の中には低いほう低いほうに流れて、楽な客を拾いにいく風俗嬢みたいなのも居るのだと思う。最初から風俗で働けばいいのにと思うのだが)と、自分の飼い犬を重ね合わせているんだろうと思うと、何か直視出来ない位キモい。鳥肌立ちそうな感じというか。 そんなのにもう5年以上見込まれながらOLしていて、自分の本業に一つもプラスにならないのだ。 ビートルズにしろ料理にしろ新左翼にしろ、何らか思うところがあったとしてもこの人と情報交換する事なんて何もない、と感じる人から生活の自由を奪われているのは相当空虚で苦痛な事なので、いい加減にして欲しいと思うし、被害に遭いながら派遣社員をしていた時から、自分が遠回しにしか何をされてるか分からないのが不健康だなぁと感じる(皆巻き込まれたくないから、はっきり警察に被害届けを出せるような形では私の被害状況を教えてはくれないのだが、創価と芸能の癒着をもっと根本から謗れるようになったら、この人にはまともに償って欲しいと思う。ナンシー関が書いていたように、もう一つも面白いところなんて無い、大体75年以降に生まれた人間にとって何をしていたか分からないような代物なんだし)。

もう7 8年近く前の事になるが、人に連れられてまだ廃刊になって居なかったスタジオボイスの、中原昌也と鵜川直宏対談みたいなものに居合わせた事があるのだが、何というか(年代は限らず)クリエイターみたいな人たちって、そんなに気持ちのいいものじゃないのよね、と思う。別にこのお二方に会いたいと思った訳ではなかったので、余計にそう感じたのかも知れないが。中原さんという人は結構しんみりした雰囲気で、「暴力温泉芸者の方ですよね」と聞いたら、「違います!」と繰り返し言っていておかしかったのだが(念のため、「暴力温泉芸者」というのはノイズのユニットの名前である)、鵜川さんという人は何故かその時、木の実ナナさんの更年期障害がキモい、みたいな話をしていて、属性が何であれ普通そんな事言わないで済むだろう、とこっちが不愉快な気分になった事を思い出す。 上手く表現するのが難しいのだが、要はクリエイターみたいな仕事だと、自分の刺激物になるタイプの女性と普通に年齢を重ねていく女性を分けていて、後者に対する母体憎悪みたいなものを剥き出しにしないと何となく自分のクリエイティヴィティが殺がれる気がするんだろうな、という気がした。そういう感覚は男性一般がそうで、私も何故か40代後半の既婚の上司に、刺激寄越せだの穏やかそうな所が良くないだの滅茶苦茶言われた上、そういう事柄と全く関係ない仕事を外された事があるのだが。
で、こういう傾向はそういう事を言う奴が所属している母集団が、宗教とか何らかのオルタナティヴな思想に汚染されている程、ろくでもない形で放し飼いにされている。いい例が自己啓発セミナーで、私は気の毒だから付き合いで受けただけなのだが、そこから啓発されていたコンサルティング会社は「尖れ」とか「愛されろ」みたいな訳の分からない事を平気で社員に教え込んでいる(あげく、独善で人の個人情報をどう使ってるか分からない)。あのねぇ、と思う。確かに自分が正しいと思った事を信じるためには尖るのも大事だけれど、それ以上に大手の住設メーカーさん(それは、INAXとかTOTOとか、リリカラとかタカラみたいな会社さんだ)が、不況でも一定以上品質を守ってくれており、分かりやすい資料を出してくれているからやっていけてるのだと思う。
大体、10代からろくに本も読みつけない奴が、30代以降に中途半端な哲学にかぶれるなよ、それを振りかざすのなんて公害そのものだと思う。私はそのキモいコンサル会社の社員が、以前ファックスでしつこく営業をかけてきたことや、未だにこちらの動向をプロファイルしていそうな所が許せないのだ。
いわゆるクリエイターみたいに、まだ自分の浮き世離れぶりに自覚的ならよいのだが、この変なコンサルみたいに善意で意味不明な人たちが一番怖い、と思う。


元々自己啓発セミナーと新左翼運動みたいなものは根幹が一緒で、それがどういう流れを形成していたかは知り合いや身内に全共闘だった人がいるとよく解るのだけど(私の場合は、それほど頻繁に付き合いがなくても、叔父がもろに東大紛争の世代で、東大法学部卒後に弁護士になっており、蔵書を貸してもらったりしていたのだが)、嫌なのは実生活の中でそういう流れに無自覚のまま、どっぷり自己啓発モードにはまってしまった人の精神論を聞かなきゃいけない時なのだ。
自己啓発セミナー対策ガイド、というのは、説明からして凄くよく出来ているホームページに思える。けれど、問題なのはその手のセミナーが、今非接触で何の情報をどれだけ入力し得るのか、という事で、そのあたりに対するステイトメント(かわった事が起きても、来歴の変なセミナーに精神を左右されない!)をはっきりさせないと、付き合いで受けただけでもいわゆる精神世界の人、に成り下がってしまう。
私自身は以前も書いたように、家の宗派は真言宗の教えられた事はプロテスタントなのだが、そういった線引きも平気で無視するのも、この人たちの図々しいところ。はなから宗教的敬虔さとは無縁なんだろう、と思う。