西瓜糖の日々

コミューンの不気味さと、人を絶対に自律させない
酷さについて、もっとしっかりフレーミングして
盗用の不気味さと一緒に消費者に周知すべきなのかも知れない、
と思う。そのクリエイター事務所からそういうコミューンの不気味さしか感じず、1Q84ヤマギシ会とかと同じなのだが、結局
そういうのが好きなのだろうなという気がする。そして
コミューンの成員は自己喪失するとほんとによくパクる。

ドグマを強制しながらスポイルする為に愛するか共同体
を強調する、というのはやっぱり全共闘とか何かの政治的
申し合わせに共通なんだろうけど、成員じゃないし話を
共有するのに物凄く苦労する。何故自分のライフスタイルが
そこに取り込まれるか全く分からなかったりもする。
西瓜糖の日々文学作品としてとても優れているが、コミューン
の息苦しさを感じ、ああいう過度に平仮名に開いた文体で
不全感を押し付ける「コピーライト」なんか不要なのだが。
とにかくこの年代の人が毒されてるものの解体に、こんなに
煩わされると思わなかった。

シェビニオンは完全に日本撤退しちゃったのかな、好きだったのになと思う。
アクアヴェルデとかシェビニオンとか長持ちするしよれよれに
なっても着たおせるので好きであり、そういう価値は価値で独立してるから60代の消費社会がどうの言う人間ははなから不必要だと思うのだが。私のインカムを切り崩して訳の分からない価値観押し付けたのは、やはり数匹仏教系カルトだし、それに統制されてる
共同体はやっぱり普通に汚らわしいと思う。
自分で仕事してナフナフとかシェビニオンとかのみっともない
フレンチアパレルとか買ってると、60代の男色家の仏教系カルトの大学教員がギャーギャー騒ぐという事があったら相当訳分からないし、幾らウェットな性格でも覗きに呵責を感じない時点で人として
終わってる気がするのだが。異嗜食テロ系汚物女子問題もそう
なのだが、顕在的な意識では嫌える仏教系カルトの成員をしっかり
潜在的な意識でも毛嫌い出来るようにしないと、加担し掛けた人の
逆切れで迷惑掛かる可能性もあるのよねと思う。

一応我々は小学生ではないので、他人の持ち物を真似たり切れたり
しないことになっており、それが消費行動を同期させる為に神経
工学や洗脳の技術を使っていればとても気持ちが悪く、ちゃんと
順を追って異様さの内実を定義していくとそれなりに興味深いかも
知れないので、警察へのアクションと同時にそれを行う事にする。
何度繰り返しても足りないが、瑣末な消費行動を通じて他人を統制的にコントロールし、老人の性的慰労に応じないと生活に支障が出るよう巧妙に仕組んでいくというのは、異常で気持ちの悪い事なのだ。
(日本型ファシズムという事でもなく、とかく感覚的な気持ちの悪さもある)
しかもそれを通じて露わになってるのは、やっぱり機能不全家庭の
問題だと思う。世の中には単に長持ちする素敵な衣類に、普通の
リネンウォーターを使えば事足りると感覚的に思ってる人がおり、
別にすごく少なくないのだが、何故か持ち物に切れて香料まみれの
リネンウォーターを強制的にあてがわれる。迷惑がると精神科へのパスを勝手に描かれる。その間ずっと監視される。
プロセスをしっかり書いていくとヴィアンの小説より現実感希薄でシュールだし、とにかくとても気持ちの悪い存在に同じ目に遭わされる人が減るといいという気がする。
歪んだ同調圧力を通じて他人の些細な行動をマニピュレートし、
手のひら返すように復興支援を行うが、脆い表面的なものを
強調しながら、資産だけは無駄に蓄積してるのに金銭的支援は
ネグレクトする。ほんとになにこれ、と思うのだが。